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大阪 アースダイバー

「アースダイバー 東京の聖地」が出版されたので、アースダイバーシリーズを読みかえしてみました。
書き始めたら、長くなってしまったので、大阪アースダイバーについて、この記事にします。

私は、東京の下町の生まれです。
仕事で何度も、大阪に行ったことがありますし、前前前世に探していた君が関西にいたので、デートでも歩いた街です。
でも、仕事でいく所だけ、どうにか迷わずいける程度。
デートは、必死ではぐれないようにして、一人で歩くと、そのたびに迷っていました。

京都は、もちろんわかりやすい。縦横のマス目の道になっている。
神戸も、山と海がみえれば、だいたい迷わない。
でも、大阪は、なんだか方向感覚が狂ってしまうのです。
西の海に向かって流れている川の橋を渡ったはずなのに、いつのまにか、海にむかっている。
中之島からでたはずなのに、また、川がある。
梅田ダンジョンは、行くだびに違っている。

だいたい、土地の波動が不安定。

東京の下町の運河に囲まれて育ったので、埋め立て地の土地の足もとの波動の不安定さは慣れているはずなのです。
でも、大阪の川は、東京の下町の運河の感覚、埋め立て地の触感ではないのです。
隅田川と東京湾(江戸の昔は、富士山も)という絶体軸がない。
それに、埋め立てではなく、砂州の上にいるという感覚は、かなり違うのです。

そういえば、隅田川と東京湾がぶつかる日本橋小網町のあたりも、方向感覚がわからなくなるところが似ています。
小網町も漁師の町でしたし、大阪湾と淀川に近い感覚かもしれません。
小網神社に参拝すると、足もとには、曲がった道があり、運河があり、高速道路が頭上にあると、東京駅はどっちだ?(江戸時代だと、お城はどこだ?)と思うのです。

そういっても、大阪も、全部が砂州ではありません。上町台地と生駒山という古い土地がもとになっています。
中沢さんは、上町台地を南北につらぬくのが、政治と生命のアポロン軸であり、東西については野生と死の軸デュオニソス軸である、としています。
それが交差するのが、四天王寺としています。

大阪は、この軸を中心にして、できた砂州に住みついた渡来人、海民、縄文人によって、死と芸能、市場というテーマが現われています。
土地にしばられない民が始めた商売によって生きるという市場、それから、刑死や葬祭から発した芸能は、大阪の成り立ちに深く関わっています。

刑死や葬送から発する芸能、というと、ちょっと不謹慎な、と感じます。
しかし、そう遠くない過去、「市中引き回しの上、獄門磔(ごくもんはりつけ)」は、市民にとって「見もの」でありましたし、このなかでも、刑死する盗賊が着飾っていたことが書かれています。
また、今でも人気のドラマやアニメで、登場人物が死んでいく場面に私たちは、大きく心を揺さぶられます。

私は、死と芸能という事では、人形浄瑠璃をイメージします。この本の最初にも文楽が登場します。
江戸、東京では、あまりなじみのない芸能です。

別の章で、性愛は、愛を物質に突き戻してしまう力がある、と中沢さんは書いています。
相手をモノとして扱い、あるいは自分をモノとして差し出すことです。

ヒトのカタチをしたモノを扱うのが、人形浄瑠璃。
生きている人間が、モノになるのが死であり、死体です。

また、淀川河口の傀儡(くぐつ)の女は、遊女(あそびめ)として自分の身体を売りました。
心のないモノとしての身体を売ったのです。

さらに、モノとしての死体のある寺町の墓地にはラブホが隣接しているのも、大阪に限らず見られる光景です。
そして、死と性愛については、エロスとタナトスとしてフロイト先生も語っていらっしゃいます。

性愛、遊女には、身体と死、というテーマが共通します。
それが、昇華した芸能として、人形浄瑠璃があると思うのです。

人形浄瑠璃は、無表情のモノにちかい男が、人形というモノをあつかう芸能です。
しかも、演目である近松門左衛門の心中ものは、死にむかう恋愛を扱っているのです。
だから、性愛と死をまとった人形のもつエロさは、ハンパないのです。

この中沢さんのアポロンとデュオニソスを読んでいる時に、釈徹宗さんがおっしゃっていた「奈良のロゴスの北、情念の南」に通じるなあ、と思っていました。

そこで、釈さんが書かれた奈良についての「聖地巡礼ビギニング」を再度、めくってみました。
釈さんの、「奈良のロゴスの北、情念の南」というのは、奈良の北側は、仏教という思想を取り入れたデザインされた都市で、それに対し、土俗信仰が残る南という意味です。
大阪アースダイバーで中沢さんが、南北の軸をアポロン、東西の軸をデュオニソスと書いていますが、釈さんは、アポロン軸をヒコ軸、デュオニソス軸をヒメ軸としています。
そして、奈良については、北がヒコ、南はヒメとしています。

それも、わかるよなあ。

聖地巡礼 ビギニング

そう思っていたら、巻末には、その釈さんと江弘毅さんの三人の鼎談の一部が収載されていました。
江さんは、岸和田だんじり=捕鯨論を展開されています。
岸和田だんじりは、捕鯨を模したもの、とおっしゃっているのです。
ああ、だから死ぬ気でやるわけだ。

私個人としては、やはり古い地層のある生駒山のあたり、やはり、安定した土地、東京の洪積層が恋しいのでしょうか。
その生駒山のあたりに、もう1章、もうけてダイブしていただきたかった、という思いがあります。
生駒山から、伊勢にいたる過程で、生命力あふれた大阪のおばちゃんの背景にある、生命を産む女性としてのヒルメ(日の妻)という女神から、野生の生命的要素をなくしたアマテラスという神に差別化した物語も必ずあると思うのです。

それにしても、大阪のディープさは、足もとがどこまで、沈んでいくかわからない魅力があり、今も生まれつつ砂州が変わり続けるように、ひきつけるものがあり続けるのだと思うのです。

大阪 アースダイバー

アースダイバー 東京の聖地

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