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「惡―まつろわぬ者たち―」 「狂言―山本東次郎家の面―」 

まず、ここから、書いていきます。何度でも書きますよ。

國學院大學博物館は、タダ!
「そこから?」と思うかもしれないけれど、こんなに充実した展示がタダなんて、贅沢すぎると思うのです。

今回は、展示の一角で行われいる小規模展示、「惡―まつろわぬ者たち―」が目的でした。
悪という文字から、その意味を探っていくという展示です。

「惡―まつろわぬ者たち―」のチラシから)
この文字は、古い中国の墓を上から見たときの形である「亞」と心臓(いや、違うだろ、と思うけど)を表わす「心」を組み合わせているそうです。
死者の世界に接する怖さ、畏れ(おそれ)の気持ちとされています。

ちなみに、この心を表わす部分は、心臓ではなくチン○に見えるという事については、私は安田登さんの著書の説をとります。
安田さんは、心はいまのように、脳内活動ではなく、もっと身体の下の部分にあった、と書いています。「アタマにきた」は、今の怒りの表現ですが、「ハラに据えかねる」はちょっと前の怒りの表現だったように、心は時代とともにどんどん、身体の上に移動してきた、とおっしゃっています。
なので、時代が古くなるほど、心の位置は下がっていくので、心の文字が、チン○に見えても当然なのだという話です。

それで、「悪」なのですが。

悪左府と呼ばれた藤原頼長は、デキる男という意味だったし、必ずしも通り一遍のイメージではない事がわかります。
しかし、そういっては、文字として通用しないので、「悪」という共通イメージはやはり、確立されていったのだな、という事のように思いました。

展示のなかでおもしろかったのは、日本書記のスクナヒコが父親のタカムスビから「其中一兒最惡(そのなかに、ひとりのこ、いと、つらくして)」と評されているのです。
その後、スクナヒコは淡嶋の粟茎(あわがら)に弾かれて常世に去っていく、というのですが、この展示では、スクナヒコは自然と文化を媒介した存在、とされていました。
スクナヒコといい、オオクニヌシといい、「惡」は去っていくのです。

そして、本来、こちらが特別展の「狂言―山本東次郎家の面―」

こちらの場所のみ撮影可。

また、この「教派神道と皇典講究所・國學院大學」では、出口王仁三郎氏の卒業免許と神職の合格証書という珍しいものも拝見しました。上田は旧姓です。

常展では、大嘗祭の祭具や御膳の展示があります。(こちらのコーナーは撮影禁止)
ああ、来年は年号がかわる。今上陛下の時のような大嘗祭が、また行われるのか、としみじみしました。

もちろん、考古学のコーナーは充実。毎回、楽しい。

入館は無料のうえ、アンケートに答えると、小さなプレゼントももらえる、というところです。
最初から最後まで「そこかよ」というところですが、一度、ぜひどうぞ。

安田登さんの「あわいの力」については、こちらの記事で。

國學院大學博物館 公式サイト 
多分野連携特集展示「惡―まつろわぬ者たち―」2018年6月1日(金)~8月5日(日)

國學院大學博物館 ツイッター @Kokugakuin_Muse

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