参道の入口からみると、あまり大きく見えません。
鳥居のかたち、古い時代だなあ。
同じような形は、奈良の大神(おおみわ)神社や、
そのなかの狭井(さい)神社で見ました。
この鳥居をくぐると、神域です。
わ、すごい。
杉の迫力もありますが、その向こうの御社殿。
実際の距離以上に、はるかに遠くに大きい何か、を感じます。
北口の富士宮本宮もそうですが、参道を進むにつれて
大きさがだんだん、わかってきます。
こちらは参道のまんなかで、守っていらっしゃる方。
お祓いをする御社は、ふつう参道のどちらかにいるのですが、
まんなかにちょこんと。
河口浅間神社の
創始者伴直真貞(とものあたいまさだ)の霊を祀っているということです。
波多志神、と申されます。
これほど古い時代のパワーが、
そのまんま、いまもある、というのはかなり驚きます。
しかも、あまり人がいないとは。
お札をいただける授与所は、近所の方がやっていただいているようで
「こんにちは~」「おじゃまします」とご挨拶して参拝します。
ちょうど、赤ちゃんのお宮参りでした。
左にちょっと写りこんでいますね。
「誰々の家の子です」と、授与所の方とお知り合いのようで、
すっかり普通によくある地域の鎮守さまなんですが、
このパワーは普通じゃない。
ご挨拶します。
写真ではわかりにくいのですが、
本殿の扁額(へんがく)に「大元霊(おおもとだま)」
とあります。
醍醐天皇の御宸筆とのことです。
桜とウチワがおしるしなんですね。
桜は、ご祭神がコノハナサクヤヒメから、
また、ウチワは修験道っぽいなあ。
本殿の前のこちらは、ヒイラ(美麗)石。
浅間神社を始めて祀った古代の石閣とのこと。
ここまで遡るとと、化石状態のパワー。
この神社は、富士山の貞観大噴火(じょうがんだいふんか)に
始まるそうですが、859年にはじまる貞観時代といえば、
隕石がおちてきたり
大きな地震があった時代。
都では、応天門の炎上事件があって、
古くから天皇に仕えたの伴氏、つまり大伴氏が失脚し
藤原氏の時代にうつっていく時代。
桓武天皇の娘を母に持ち、イケメンで歌もイケてるけど、
政治的には失脚する在原業平の時代。
古代のパワーがなくなっていく時代。
つまりは、今とよく似ている時代。
そんな時代に創建された神社は、そのパワーを持ち続けています。
こちらは左手にいらっしゃる方々。
左は稲荷社、右はあちらこちらの集合された合祀社。
ここまでで、もう、充分クラクラしてるのですが、
こっちこっち、と言われて、奥へ。
行って見ると、
本殿のうらに、諏訪社
山神社
出雲社
とこれも、古くてしかもパワフルなまんまの方々。
くらくらしつつ、すきっとぬけていって気持ちのいい場所です。
本殿の前は池があります。
池といっても止まっている水ではないので、澄んでいます。
そして、上の写真にもある杉の大木。
1御爾(みしるし) 2産謝(うぶや) 3齢鶴(れいかく) 4神綿
5、6父母 7天壌(てんじょう)
の7本です。保護のためかと思いますが、囲いがあります。
これは、別の杉です。
ぴかぴか。
浅間神社(山梨県神社庁のページ)