須走の登山道の起点となっていたそうで、
富士山信仰の御師の家が立ち並んでいたそうです。
この周囲にも石垣の立派な大きな住宅がならんでいます。
この須走からの登山道は、噴火があったり、自衛隊(当時は陸軍)の土地の接収があったりして、途絶えたこともあるようですが、近年、下山道として整備されたそうです。
小さな祠で説明もないので、詳細はわからないのですが、ここから登山される方の、最初のあるいは、最後の目印のようです。
街道沿いにあるのですが、地蔵尊ではないと思います。
ご挨拶して、通していただきます。
まったく土地も荒れていないし、素晴らしい。
富士山のまわりの神社は、誰もいないのに、霊性が保たれている場所がいくつもあります。
ここは、この杉のせいか、橋の下の川のせいか、水性を感じます。
(川は、龍かもしれません)
富士山じゃないと思います。
この地を守っていらっしゃる方だ。
もともとは、富士山の噴火へのお社だったのかもしれないけど、地元の神さまの感じがあります。
そこに、須走の登山道ができて、富士山信仰を持ってきた感じ。
説明書きによると、今の拝殿がある場所にあったもの、とのこと。
本殿のご祭神が、富士山の神さまである木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)であるのに対して、
古宮のご祭神は、八坂大神、八万大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神。
古宮のご祭神が、その時代の神さまであることを示されています。
また、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の創建で始まり、蘇我稲目が再興したとありました。
日本武尊の創建された神社は、その東征の足跡のように各地に残っているので、それは、あるかもしれない、と思いますが、蘇我稲目には、ちょっと意外です。
そういえば、蘇我氏が仕えた聖徳太子は、甲斐の黒馬にのって富士山を飛び越した、という話もあります。
富士山の噴火は、貞観噴火より古い時代もあったようなので、その噴火を治めていただくという場所を作った、という事もあったかもしれません。
また、馬を通して、このあたり(甲斐は、ここではなく山梨ですが)と、大和の交流も当然、あったと思うので、ここに蘇我氏の名前がでてくることも、あるのかもしれません。
その後は、八坂大神や、疱瘡守護神が、この地を守られ、また、富士山信仰としての須走の登山道の出発点としてのお役目として、木花咲耶姫をご祭神とされたのだと思いました。
その須走の登山道は、今また、整備されたことを思うと、富士山に登るというのは、強い力なんだな、と感じます。
この看板の「南口下宮」
富士山の南の須山登山道としての、「南口」でしょうけど、この下宮に対する上宮が、よくわかりませんでした。
冨士山本宮浅間大社の山宮浅間神社なのかな?
いずれ、わかるでしょう。
木の香りする拝殿に、あじさいが奉納されていました。
世界遺産に登録されても、地元の方に大切にされている聖地です。
静岡県神社庁のサイト 浅間神社
冨士の国やまなし観光サイト 須山浅間神社
須山登山道について 裾野市のサイト
八雲さん の このサイト では、富士山の神社について、詳しく書かれています。
こちらの、富士山の神社 の 須山浅間神社 のサイトでは、美しい動画もアップされています。