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石上神宮 拝殿

    天理教団の大きな建物をいくつもくぐって、中学生の、しかも体育の、ランニングコースを横切って山のすそ野にある神社です。石上神宮(いそのかみじんぐう)

    参道をすすむと、楼門の横顔が見えます。

    公式サイトのトップにもこの角度からの写真がでているのですが、これは拝殿を囲む塀と楼門。
    普通、神社は正面からの階段や拝殿の写真が、その神社の「顔」になるのですが、ここは横を向いています。

    手水。

    もう、かなり前から何度か来ているのですが、(当時は公式サイトがなくて、事前の情報がかなり少なかったのですが)、あいからずの、この手ぬぐい。すごいなあ。
    そして、水が岩からでています。
    地下水が豊かで、神社のまわりを水がめぐって、清浄をたもっていることがわかります。

    手水の石には「布留社(ふるしゃ)」とあります。

    この石上神宮は、古くは布留社と称されていました。

    手水のまわりには、鶏が何かをついばんでいます。

    けっこうな種類が、フリーダムに歩いています。
    しめ縄を張ったところでも、どんどん入っていきます。

    鶏は、朝をつげる鳥で、神使とされています。
    神のお使いなので、どこに入ってもオッケーです。

    伊勢神宮の式年遷宮の時、ご神体の遷御にさきだって「かけこぉ」と三回、声が響きました。
    天岩戸から天照大神が、お出になった朝をつげる鶏の声だそうです。

    楼門を摂社の方から。

    立派な楼門だけど、朱色の塀とあわないなあ、と思っていたのですが、この楼門は、神仏習合の時の鐘楼だったそうです。
    なんか、ウイてるものね。

    この楼門といい、拝殿といい、どこを向いているのか、と思っていました。
    拝殿の向かい側には、布留山という山があります。
    手水の石にあったように、布留山を向いているお社という意味であるなら、この拝殿の向きもわかります。

    拝殿は、布留山の方向を向いているとすると、参拝者はナニを参拝しているのか、と考えました。
    すごくざっくりだけど、参拝者は、磐船神社にむかって拝することになるのかな。

    石上神宮は、古代の豪族である物部氏の氏神さまと公式サイトでは、紹介されています。
    また、磐船神社は、その物部氏の祖先の神さまである饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天から降りられたところとされていて、饒速日命をお祀りしています。

    拝殿。

    ご挨拶します。
    コワい、コワイ、コワい。
    大神神社にご昇殿したときに感じた、真っ黒なパワーもコワかったけど、ここもコワい。
    厳しい空気。写真とっていいのかな、と感じてしまうくらい。
    近くの鎮守さまや、お寺の境内のように、子どもたちがサッカーをする雰囲気ではない。

    中学生の体育のランニングコースになっていて、農家の庭先に駐車場があり、手水の手ぬぐいと、鶏の声というゆるさと、石上神宮の神さまの雰囲気のギャップがすごい。
    というか、この、のんびりとしたゆるい場がなければ、強力な引力のあるアチラ側からは戻ってこれないと思います。

    そして、やっぱり、どこに向かって参拝しているんだろう、と思います。
    磐船神社もすごいんだけど、ちょっと方向が違うし、それより、エネルギー的に遠すぎると感じます。
    拝殿で参拝したときには、背中の方向にある、布留山は、よくわからない。

    でも、拝殿で参拝する時、背中側からくる布留山からきた流れを楼門でうけとめて、前へ流れていって、拝殿奥の禁足地にぐっと押しとどめている重い力を感じます。

    その流れが押しとどまる所である、拝殿奥の禁足地から、ご神宝の「韴霊(ふつのみたま)」がでてきたそうです。
    ぐっと押しとどめているのは、たぶん、その神さまの刀。でも、流れの元である、布留山は、よく、わからない。

    一方、古くは、布留社と称されたお社。やはり、布留山は重要。
    その布留山って、ナニかあるんだろうか。奥宮はないようだし、ご神体の山でもない。

    ご神体ではなくとも、重要な布留山であったとして、それを背に禁足地を拝しているのです。
    でも、布留山が重要だとしたら、禁足地の向こう側に拝殿をつくって、禁足地を通して布留山を拝するのが、よくある神社のカタチのはず。

    また、石上神宮というお名前は、石という磐座の上にある神宮という事。
    と言うことは、神さまがおりてこられる磐座があったという事なのだけれど、拝殿の奥には磐座があり、むしろ布留山より重要な場が、やはり、その磐座、あるいはその向こうにあるという事かもしれません。

    そして、このあたり、古代のレイラインがいくつも通っていて、いろいろ言われているけど、この場にいるとパワーの流れがどちらに向いているのか、わからないのです。

    このわからなくさせているという事も、ナニかの意図を感じるもので、コワい。

    ご祭神も、ちょっとややこしい。公式サイトには、石上神宮独特の三柱の方々の名前があります。
    布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
    布留御魂大神 (ふるのみたまのおおかみ)
    布都斯魂大神 (ふつしみたまのおおかみ)

    まず、ご神刀の、韴霊(ふつのみたま)である、布「都」御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)。

    それから、天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿られる霊、布「留」御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)。
    饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神(あまつかみ)から授けられたとされています。
    布留社と称されているのですから、この神さまがやはり、気になります。

    そして、布「都」「斯」魂大神(ふつしみたまのおおかみ)。
    素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに、「用いた」天十握剣(あめのとつかのつるぎ)。(オロチの尾からでてきたのは、草薙の剣)
    こちらは、ちょっと「新しい」感じがします。後付けというか。

    布「留」御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)が宿られる天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)。
    布留社であるのだし、この神さまが「中心」だと思うのです。
    この宝は、石上神宮独特の祝詞「十種祓詞(とくさはらえのことば)」に表われます。
    この祝詞は、ご神宝である十種神寶(とくさのかんだから)を数え「改め」ます。
    改めるということは、新しくすること。つまり、新しいイノチを与えています。
    それとともに、こちらに「鎮斎奉り給ふ」(いつきたまつりまたう)のは、饒速日命であると奏上します。
    これは、鎮魂の言葉なのです。
    新しいイノチをあたえ、鎮魂もするという祝詞です。
    布留社の布留は、布留山ではなく、この祝詞にある神さまの布留御魂大神のおられるところ、という意味かもしれません。

    一方、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、降臨された磐船神社は、ご祭神になっているのですが、石上神宮は物部氏の神社であるにも関わらず、ご祭神に饒速日命の名前はありません。

    拝殿が正面を向いていない、という事は、出雲大社の大国主神(おおくにぬしのみこと)が拝殿正面ではなく、西向きに座しているという事を連想させます。
    大国主神も、ヤマトの体制に制圧された出雲の勢力。

    また、天皇家で大事な秋の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)がなされる前日、石上神宮では「鎮魂祭」が行われます。
    これ、なんだか、こちらの神さまをなだめているように思えるのです。

    祓詞(はらえことば)で、鎮魂、斎奉されているのは、ご祭神に名前のない方でしょうか。

    拝殿の向きやパワーの流れが、いまいち納得できないこと。
    それから、むしろそれば押さえつけられているように、コワいこと。
    そして、ご祭神の三柱。そして、独特の祝詞。
    いずれも、はっきりとしないのですが、でも、圧倒的なパワーをもった聖地。

    大神神社と同じようにヤマトの体制側が、おおやけに祀ることをしないけれど、鎮魂するべき神さま、ということでしょうか。
    それは、ヤマトの体制が、東京に移っても、それは変わりません。
    怒らせてはいけない神さま、ではあるけれど、必要な勇気をくれる神さまでもあると思います。

    石上神宮の公式サイトのなかに、石上神宮フォトブログ「山の辺の社」があります。美しいので、おすすめ。

    石上神宮 公式サイト
    磐船神社(岩所神社) 公式サイト

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