日枝神社は、富山藩の総産土社として篤く信仰されていました。
現在も富山市内の中心にあり、周囲は市役所や病院などがあります。
で、日枝神社といったらお山の神さまだと思うのです。
ところで富山は北アルプスの北部にあり、山といったら剱岳、白山といった霊峰があり、それぞれの信仰があります。
それと関係するのかな、と事前には思っていました。
あ、白山も剱岳も関係ないかも。
むしろ、一の宮のような広々としたのんびりした空気感があります。
全国にある日枝神社は、山王信仰に基づき比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社です。
でも、一方で、日吉大社は独特のムードがあって、それがそのまま、全国の日枝神社に勧請されているとは、私は感じられないのです。
むしろ、東京の赤坂にある日枝神社とこちらの日枝神社の雰囲気が、とてもよく似ているのです。
東京の日枝神社は江戸城の守りとして、裏鬼門にあるとされていて「皇城の鎮」と言われていて皇居もお守りしています。
その、雰囲気が大変、似ているのです。
ご祭神は山王さま、なので、大山咋神(おおやまくいのかみ)
そこに、大己貴神(おおなむちのかみ)と天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)豊受大御神(とようけのおおみかみ)がおられます。
大きくて安心な神さまのお庭にいる事を感じます。
でも、こうして神さまのお名前をみると、剱岳の立山権現様の雄山神社や、白山の菊理媛尊び白山比咩神社とは違うよね。
歴代の富山城主に篤く信仰されていたそうです。
この地の藩主で、戦国武将の佐々成政は、本能寺の変のあと、反羽柴秀吉であったために、富山城で敵方に囲まれてしまいます。
そこで、浜松の徳川家康に挙兵を求めるため、わずかな供回りを連れて富山城を脱します。敵の目を避け、厳冬期の北アルプスを越え、浜松に向かったたと言われているのが、いわゆる「さらさら越え」の伝説です。
あの険しい山々をどう越えていったのか、と思います。
なかなか良い感じだったので動画にしました。
水天宮は安産の神さまで、犬はお産がかるい、という事から安産犬がいます。
なでられているようで、テカテカしてます。
こちら、古そう。
富山藩の江戸屋敷におまつりされていましたが、明治維新後に日枝神社の末社としてご鎮座されたそうです。
富山藩の江戸屋敷というのは、いくつかありました。オフィシャルなところが上屋敷なのでそこにあったとしたら、いまの本郷の東京大学の中だそうです。
独特な感じ。
お働きは仕事の神さまなんだと思うけど、仕事で利益を得るという感じがなく、真面目な感じなのです。
ご祭神は、手置帆負神(たおきほういのかみ)、彦狭知神(ひこさしりのかみ)
忌部氏の親神さまとされている太玉命(ふとだまのみこと)のお供をされた五柱の神さまのうちの二柱。
太玉命は天孫降臨の際、瓊々杵尊(ににぎのみこと)に伴った五伴緒神(天児屋根命、太玉命、天鈿女命、石凝姥命、玉屋命)の一柱。
忌部氏は、祭祀に関わる豪族だし、また、手置帆負神、彦狭知神は天御量(あめのみはかり)つまりメジャーとか秤をつくったので、木工や職人の神さまとされています。
つまり、エラく古いし、あまり他ではお祀りされてない神さまだと思います。
歴代の富山城主に篤く信仰され、この地のお守りをしている神さまと、
すごく古い神さまがおられる聖地です。
カッコいい。
さらさら越えについて 北アルプス登山史の謎! 戦国武将佐々成政の厳冬期「さらさら越え」に迫る → https://yamap.com/magazine/13850
江戸富山藩邸 https://www.city.toyama.toyama.jp/etc/maibun/toyamajyo/edo-toyamahan/sankinkoutai/sankinkoutai.htm
手置帆負命(たおきほおいのみこと) https://genbu.net/saijin/taoki.htm
彦狭知命(ひこさしりのみこと) https://genbu.net/saijin/hikosati.htm
日枝神社 公式サイト https://www.hie.jp/