写真左側に、本殿の屋根がふたつ、見えます。
長い廻廊は、奥にある神奈備山である中山と、そこの古墳に埋葬されてる被葬者に対する霊的な防御ではないかな、という事を前の記事で書きました。こちら。
左側に山があり、強烈に引力があったのが、この岩山社。
足もとの長い石の階段がコワかったので、廻廊からご挨拶。
こうして廻廊から、つまり、遠くから、参拝するお社なのかもしれないと思いました。
地元の神さま、地主神だと思うんだけど、ちょっとコワい。もともと、おられた神さまだと思います。
お名前からして、山の神さまだと思うのですけど、その時の時流で温羅と言われたり、大吉備津彦命という神名にカクされてしまっているのかもしれません。
拝殿で祈願されたあと、ここでその願いが叶うかどうかをうかがうという神事とありました。
この写真には、神事希望の方は、受付はこの御竈殿か社務所受付で、とありますが、実際は、この御竈殿では直接は受付しません。
中は撮影禁止でした。でも、のぞいたところは、清々とした空間でした。
光がさしていて、火があって、煤(すす)のついた黒い壁に白い煙が立ち上っています。
そして、なんかちょっと民間信仰のような、「占い」に近いものも感じます。
伝説では、この下に晒された首がうなり続けたという、鬼である温羅の首が埋まっているという事ですが、そんな恐ろしい、あるいは、恨めしい波動は一切ありません。
白い装束の女性も、サッパリしておられる。
この長い廻廊の先には、大吉備津命の父母神さまの本宮社がありますが、拝殿本殿に対するバランスとしては、少し弱い感じ。
むしろ、この長い廻廊は、岩山社と御竈殿でバランスがとれている感じもします。
寒かったんですよ、この朝。凍っています。
手水舎から鳥居をでて、振り返ってみますと、あれ?入口こっちか、という感覚。
右側の建物が御竈殿です。
矢置石の手水舎から本殿に向かうのは、正しい参道だと思うのですが、こちらから入ると、まず、御竈社が祓いのお役目をして、神さまのおられる中山に正対します。
こういう入りかたも、大いにアリだと思いました。
御竈殿の隣の鳥居をでると神池。
山に対して、水があるのもよくみるバランスの取り方。陰陽のバランス。
わかりやすい。ご利益ありそうな宇賀陣さまです。
魚?と思って珍しいなと写真を撮ったのですが、温羅の伝説では、大吉備津彦命に左目を射貫かれた温羅が、最初は雉に、それから鯉に変じて、逃げたということになっています。
これは、鯉なのかもしれません。
中山には、281才で亡くなった大吉備津彦命の中山茶臼山古墳があるそうです。
実在した人物だと思うのですが、一人ではなく、何代もわたった家系の総称、あるいは代々の宗主の名前ではないかと思います。
そこに埋葬された人物(たち)は、もしかしたら、伝えられているようなヤマト朝廷のヒーローではないのかもしれない、とちょっと思いました。
そして、温羅も退治された鬼ではなく、地元の実力者だったのかもしれません。
中山の古墳、遺跡については、吉備の中山を守る会を参照しました。