ここに来るまえに、吉備津神社 と 吉備津彦神社 を参拝しており、大吉備津彦命に成敗された鬼としての温羅(うら)ではなく、地元の豪族、もしかしたらヒーローとしての温羅ではないのかな、という事も考えていました。
大吉備津彦命と闘った温羅が、傷を負って、自分の血に染まったこの近くの足守川に、鯉となって逃げてきたそうです。しかし、ここで捕らえられた(しかも捕食した、と書かれていました)という場所です。
食っちゃったのか。
そのあと、温羅は首をはねられたが、その首は討たれたあとも、うなり声をあげたと聞きます。
その温羅を村人たちが祭った(掲示された文字のまま)というのがこの神社だそうです。
やっぱり、温羅って当時の村人、それから今も、大事なんじゃないかな。
そして、この神社は弥生時代の古墳にのっているそうです。
山陽道と足守川も近くにあって、交通の要所だったはず。この場所は、今は静かな住宅地だけど。
そこに恨みをもった魂をお祀りして、地鎮とするのは、神田明神もそうですが、ここでも同じ。
穏やかだなあ。怨霊も恨みもなんにもない。
左右の竹の短冊(?)がカラカラっと鳴ります。絵馬の代わりのようで、祈りや願いが書かれています。
鳥居の前でゆるく曲がった道が、岬にみえますし。
吉備津神社の公式サイトにはありませんが、2005年の吉備津神社の屋根の改装時、本殿内部が期間限定で見学できたそうです。その時に書かれた個人のブログを見ていたら、御崎神社について書かれていました。
そのなかに、本殿の四隅の巽(たつみ)坤(ひつじさる)乾(いぬい)艮(うしとら)にそれぞれ、御崎神社が祀られていたそうです。そのうちの艮御崎神社には、温羅が祀られているとされています。
丑寅の鬼門だから、鬼、ということでしょうか。
その吉備津神社の本殿にある艮御崎神社から分詞されているのですよ、という意味でしょうか。
人の手はきちんと入っていて、今、掃清めたんじゃないかと思うくらい、砂地の地面に掃いた砂紋がついています。
小さな神社ですが、良いところです。
この日は、風花が舞うような寒さ。
カラカラと子ども達のお願いの竹が鳴っています。
穏やかな毎日が、数年、数百年、これからも続きますように。
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