吉備津神社と、吉備津彦神社は、とても近くにあって、ちょっと混乱してしまうので、表にしました。何でも表にしたり、グラフにしたがるのは理系教育のおかげで(笑
吉備津神社と吉備津彦神社はのあいだは、2kmもないくらいです。車で数分の距離。
そこに2つの国の一宮がくっついて鎮座されています。
吉備津神社は備中の国の一宮(いちのみや)で、吉備津彦神社は、備前の国の一宮です。
備中とか、備前というのは、昔の国の境目です。
備前、備中、備後は三備とされており、だいたい今の岡山県と近隣の県の一部にあたります。もともと、この三備の国の一宮だった吉備神社が、分れる時に備中の一宮と備前の一宮にわかれたようです。
ちなみに、備後の一宮は、広島県福山市の吉備津神社。ご祭神は、大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
吉備津神社(広島県福山市) 公式サイト
岡山県の吉備津神社→備中の国の一宮
広島県福山市の吉備津神社→備後の一宮
また、この三備に美作国も入れて、吉備国という場合もあります。
美作国の一宮は、岡山県津山市の中山神社。ご祭神は、鏡作神(かがみつくりのかみ)。
しかし、この中山神社の「中山」は、吉備津神社のある吉備の中山であると指摘されており、鏡作神以前のご祭神については、大吉備津彦であった時期もあり、金山彦神(かなやまひこのかみ)とも言われています。
中山神社(岡山県津山市) 岡山県神社庁のサイト
この吉備津神社の3社(中山神社も含めると4社)に共通しているのは、大吉備津彦命というご祭神です。
この大吉備津彦命は、ヤマトの神さまであり、朝廷からやってきた権力者です。
このあたりは、穏やかで晴れの日も多い気候で、海運も早くから発達したでしょう。吉備津神社のある中山の近くまで海だったそうです。中山をはじめ、周囲にも古墳や遺跡も多くあるので、古代から大きな力をもった地方豪族もあったでしょう。
そんな古代、出雲と同じように大きな勢力だったこの地方が、ヤマト朝廷からやってきた大吉備津彦命に鉄の資源とともに制圧され、吉備の国が4つに分断されたと考えられています。
その時に、吉備津神社の神さまを分詞したのではないか、と聞きました。
また、吉備津神社に残っている伝説に、童話の桃太郎の「鬼退治」のお話の原型とされている温羅(うら)という鬼を征伐した、という伝説があります。
しかし、逆にひっくり返してみると、地元の実力者の温羅が恨みを残して征伐されたとも読めるストーリーではないでしょうか。
そして、このキビツ彦は、281才で亡くなってこの神社のある中山に埋葬されているとのことなので、何世代にもわたる一族の名称であるとも読めます。
また、この吉備の中山にある中山茶臼山古墳は、大吉備津彦命墓として宮内庁から御陵と治定されています。
そして、さらにこの中山は、磐座や古墳のある古代の祭祀場だけではありません。
黒住教の本部もあり、比較的新しい宗教の聖地でもあるのです。
なので、古代に限らず、いまも神さまのおられる、あるいは霊的に意味のある聖地なのです。
参拝の順序は、どっちが先なの?と聞こえてきました。
今となっては、両社とも一宮であり格式としては同じだと思います。なので、どちらからでも良いように感じました。
しかし、私個人としては、成敗されたという地元の温羅の首があるということですし、また、そこから分詞されたとしたら、その経緯もありますので、まずは吉備津神社にお参りすると思います。
そのあと、吉備津彦神社へお参りし、時間があれば、神さまのおられる山として古代から信仰の地だった吉備の中山を歩かれることをおすすめします。
神奈備山である中山へ行かれるときには、やはり神さまの山なので、真摯な気持ちで。
吉備津彦神社の「吉備の中山探訪」というページに、山戒がありました。転載します。(現在は該当ページは削除されているようです。2020年9月12日)
一.身心を清浄にして登拝しましょう。
一.みだりに木花を折ったり傷つけたりしないこと。土石をもちださないこと。
一.注連縄がある場所は本来の禁足地です。
一.岩に触れたり、決して傷つけたりしないこと。
一.親族の不幸があった場合、忌の期間(最高50日間)は登拝を遠慮すること。
一.婦女子の月の障りの期間は登拝を遠慮すること。
一.磐座にお供えなどをされた場合は糞害等の原因となるので必ず持って帰ること。
一.ローソク等、火気を使用しないこと。禁煙のこと。
一.ゴミを出さないこと。人の捨てたゴミでも拾うこと。
この本を紹介した記事は、こちらです。