2kmほどの距離をおいて、吉備津神社と吉備津彦神社が鎮座されています。
違いについて、書いていたら長くなってしまったので、別の記事にしました。「どこが違う問題」「参拝順序問題」や「そもそも、別なの?問題」をお持ちの方は、こちらの記事で。
地面は砂でちょっと海っぽい感じを残し、松の向こうに美しい山が見えます。神奈備山である吉備の中山です。穏やかなパワーがあります。
温羅(ウラ)と戦いで、ご祭神である大吉備津彦命が矢を置いたという岩です。
一方、その伝説とは別に岩や石に対する信仰、磐座(いわくら)を感じさせるものです。
室町時代のものだそうですが、城っぽいつくりです。
大吉備津彦命は、温羅との戦いで、この神社を本陣としたとも聞きました。矢置き石といい戦い、城壁を連想させます。
古いパワー。静かな波動。随神門をくぐって、拝殿の前にくると全く静かです。戦いとか鬼退治とかまったく関係ない静かさ。
なんだろう、不思議だなあ。
ふたつの本殿、のように見えているのですが、屋根はふたつでも本殿としての空間はひとつ。
でも、ふたつに見せている、というところに意味を求めると、やはり、主祭神である大吉備津彦命と、退治されたという鬼の温羅を表わしているのかな、というのは、うがち過ぎかもね。
神社に神馬がいることは珍しくないけど、普通、神馬ってそっち向きじゃなくで、本殿に対し横向きじゃないの?とちょっと不思議に感じました。
その神馬の視線の先に、長い廻廊が続いています。写真中央あたりに、白い神馬の下半分が見えます。
この廻廊がとんでもなく長く、そして美しいカーブを描いています。
本殿と、父母神さまをお祀りする本宮を結び、途中に、温羅の首が埋めてあるという御竈殿があるとしても、屋根のある廊下でつなぐのは、なにかのシンボルでしょう。
この長い廻廊は、古代からの祭祀場であり神奈備山である中山にそっています。
諏訪大社の上社本宮もそうだったように、むしろここから山を拝するための装置、あるいは、山に葬っている何かを防ぐ霊的な防御線ではないでしょうか。
そうだとすると、神馬がこちらの方向を向いていることも理解できます。
諏訪大社 上社本宮の廻廊、布橋の記事は、こちら。
実際、ここからこの廻廊を歩いていくと、感じるのは山からの波動です。
吉備津神社の構造については、才本設計アトリエ「吉備津神社の本殿・拝殿2」を参照しました。
中山の古墳、遺跡については、吉備の中山を守る会を参照しました。