2kmほどの距離をおいて、吉備津神社と吉備津彦神社が鎮座されています。
違いについて、書いていたら長くなってしまったので、別の記事にしました。「どこが違う問題」「参拝順序問題」や「そもそも、別なの?問題」をお持ちの方は、こちらの記事で。
玉垣の向こうに空間が広がっていたので、また、数段のぼって中をのぞかせていただきました。
ここ、気持ちいいです。
拝殿・本殿をはさんで左右にこの空間があり、それぞれ四隅に大吉備津彦命に従った従者が、ご祭神をお守りするように、楽御崎神社と尺御崎神社として、お祀りされています。
そのひとつです。こちらは、楽御崎神社。と、その隣の小さな祠は、岩山神社。
吉備津神社の廻廊を歩いていたときに、強力な引力を感じて、ちょっとコワかった岩山神社がこちらにも。やはり、大事にしたおくべき方です。こちらの記事で。
斎庭には入れないので、遠くからご挨拶。
このご社殿の背後の吉備の中山の北峯は龍王山と称されているそうです。
古い地図では、たくさんの神社やお寺がこのあたりにあったことがわかります。
そして、地図の左上に山があって「宮廻りハ南ハ御釜ノ南岸マデ」とあり、御竈殿が重要であったこともわかります。
看板のあたりから、塀の外を見ると、手前に赤い鳥居がつながっていて、ああ、お稲荷さんがおられる、とわかりました。
そして、その手前に、小さなお社がいくつかあるなあ、でも、ちょっと階段が長いなあ、と思って、稲荷神社は、階段下からご挨拶しました。
その隣に、道があって、ああ、あそこが中山への登山口になるのか、と見ていたのですが、その時は、写真を撮っていませんでした。
でも、帰ってから、あのお社は、ナンだったんだろう?と気になって、、いただいたパンフレットにあったのが、温羅神社。
この写真は、吉備津彦神社 公式サイト「境内ガイド」から転載させていただきました。こちらです。
ああ、やっぱり。
温羅(うら)は、神奈備山である中山に対しての霊的防御の要として、働いているんだと思いました。
吉備津神社でも、御竈殿の隣の鳥居から見ると、正面に中山がみえ、廻廊が左右に長く延びていました。
写真の右側が、温羅の首が埋まっているといわれる吉備津神社の御竈殿。
正面の鳥居をくぐって、長い廻廊があり、その向こうは吉備の中山です。
古代に、ヤマト朝廷からきたヒーローである大吉備津彦命は、この地に新しい秩序をもたらしたと思うのです。
そして、その当時は、地元の豪族である温羅は、鬼として成敗された伝説として残っています。
でも、温羅も単に鬼としての悪者という面だけではなく、神奈備山である中山にあるには、聖地とひとくくりにできないパワーも埋葬され、それに対する防御として、あるいは、古くからの聖地である中山をお祀りするために、大吉備津彦命も、温羅もおられるのではないでしょうか。
中山の古墳、遺跡については、吉備の中山を守る会を参照しました。