拝殿の前を通って、向かって左側です。
山との隙間に拝殿に向かう形で、小さなお宮があります。
七盛宮

神社なのでお宮のかたちになっていますが、ご供養のためのもの。
この先には、七盛塚と呼ばれる石碑、小さな石の墓標があります。
七つではなく、結構な数がありますし、亡くなった方はこの数ではないはずです。
安徳天皇は御位のまま御入水され水天皇・水天宮と申し上げますと説明されています。
ともに水難で亡くなった方の名前をとどめた石が納められているそうです。
もともとこちらは安徳天皇の陵にご廟をつくって供養した阿弥陀寺があったので、神社というよりお寺なのです。
お寺のなかには御利益求めるような仏様もおられるのですが、もっぱらここはお祀りしてお鎮まりいただくエナジー。
ちょっと重いな、と思っていたら、観光バスの一団がやってきました。
おじさん、おばさんが賑やかにやってきて、大騒ぎしています。
開扉されたお堂のなかにスポットライトがあたった、すごくリアルな木造の耳なし芳一が琵琶を弾いています。
しかも、琵琶で平家物語の一節が流れてきて、さきほどの一団がさらに、大騒ぎしています。
でも、この観光バスの団体、空気をかき混ぜている感じで悪くないのです。
人の生きているというエナジー、笑いという波動の明るさ、強さはすごいな。
お線香があったので、お供えしてお参りしました。
耳なし芳一のお話は、ここにあったお寺のお話です。
古くは古墳、あるいは八王子の武藏野陵(むさしののみささぎ)とは全く違うお寺の雰囲気です。
現在は、宮内庁が護持されているとのことなのですが、お寺だな、ここ。
平成になってから竣工されたそうで、太鼓が鳴らされるそうです。
壇ノ浦の合戦から平成、そして今も、鎮魂の祈りが続きます。
大騒ぎしていた団体はいつの間にか過ぎて行きました。
ちょっと暗くて、重いエナジーは、不敬だと怒る方もおられるかもしれませんが、ああいった感じの方がいいのかもしれません。
もう一度、ご挨拶して帰ります。
公式サイトには案内はありますが、ちょっと見た感じ、使っているのかなと思う暗さ。
三笠宮寬仁親王殿下の台臨を仰ぎ、赤間神宮会館としてに竣工し、当時の内閣官房長官安倍晋太郎さんによって、御祭神に因み龍宮殿と命名されたそうです。
そういえば、安倍晋太郎さんの地元は山口県。次男の晋三さんは、2022年狙撃されて亡くなりました。
どこまでも、重いことを連想する神宮です。
こちらのお宮では、安徳天皇の御命日から3日間にわたり行われる先帝祭というお祭りがあるそうです。
助けられた多くの女官上﨟達は、遊女となって生活をしていたのですが、ご命日には威儀を正して参拝する様子を再現しているそうです。
行列には平家の武者も加わります。
絢爛豪華な太夫行列ですが、華やかだけではないお祭りだと思います。
ドローンスクール下関 チャンネルから
門から鳥居は一直線にはなっていません。
まっすぐあがってくるモノ、あるいはでていこうとするモノを簡単には進ませないのでしょうか。
なんだかどこかがゆがんだような、不思議な場所です。
海に面して、阿弥陀寺公園というところがありました。
赤間神宮の前の阿弥陀寺の名前は残っています。
海参道にあるいかり。
水天皇大神安徳天皇をまつる赤間神宮は、関門海峡の鎮めの神と仰がれているとのことです。
また、平家の武将、知盛は「見るべきほどのことは見つ」として、碇を背に海中深く御幼帝のお供をされました。
平家物語として、能として、歌舞伎として、あるいは、近年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、アニメ「平家物語」と、
物語としてともに称え、悲しむことは「耳なし芳一」と同じように、お慰めすることなんだろうなと思います。


