先日、「パタリロ!」の舞台化のニュースを聞いて、2.5次元が流行っているからといって、なんでも、いいってもんじゃないでしょ?
と思ったのですが、いや、いいのかもしれません。
そして、さらに、魔夜峰央さんが「スピリチュアル漫画家!」とタイトルされるエッセイを書かれて、これは、読まないといけません(笑)
「パタリロ!」が連載されていた当時は、なんの意味もわからず「誰が殺した、クックロビン」と大笑いしてたのですが、そのあと、「魔法の言葉」マザーグースの一篇だったと知りました。
この本にあるように、魔夜さんはとても読書家で、このクックロビン以外にも「パタリロ!」のなかに、たくさんのヒントがあっていまさらですが、驚きました。
この「スピリチュアル漫画家!」の巻末に「パタリロ!」第129話「龍王無尽(りゅうおうむじん)」があります。
いま、もう一度、「パタリロ!」を読んでみると、丁寧な線に豊かな白と黒、こめられた意味の深さがあって、「クックロビン」と大笑いしていた当時、無意識に贅沢なモノに接していたことがわかります。
魔夜さんは、何度か、守護霊様とコンタクトがあったとのことです。
スピリチュアルとあるように、「守護霊様は、幽霊ではなく、未来からお導きいただく未来人」というような内容もあります。
「守護霊様は、はっきり人生の予定がわかっていて、結果にたどり着くようにやらせてるんじゃないかなあ」とも、書いていらっしゃいます。
経済的に逼迫(ひっぱく)した、不安な時であっても、です。
確か、石井ゆかりさんが書いてらしたのだと思うのですが、占星術を深く学ぶにつれて、自分の事をあまり占わなくなったと書いていらっしゃいました。そうかもしれません。
もちろん、将来は不安な事もあるし、毎日が、そうそうラクな事ばかりではありませんが、スピリチュアルを知る事、占星術を学ぶ事によって、解放される部分も大きいと思うのです。
もちろん、明日は、どうなるのだろう、と何回もカードをひく人や、あの人の気持ちがどちらにむくのだろうと、と何人もの占い師を尋ねる人がいる事、あるいは、宗教やスピリチュアルに「依存」している人がいるのは、承知しているのですが、でも、私は、自分のチャートが少しでも読めたり、あるいは、宗教やスピリチュアルな世界を知っていることが少し遠くをみる勇気になるのだと思うのです。
エッセイの最後の方にある言葉です。
「信じておまかせしていくしかないですよね、我々は」
親鸞の言葉にありそうな宗教性を感じます。
巻末の「パタリロ!」129話。「龍王無尽」マライヒが拾ってきた巨大レンズを手に入れたパタリロ。
それを通して見ると、背後霊の姿を見ることができるという話。エッセイの最後にふさわしい話です。