たいへんな混雑に恐れをなして、行くかどうか迷っていたのですが、週末の開館時間が遅い時間なら入場規制もないようなので、行ってみることにしました。
入場規制はなかったのですが、場内はかなりの混雑しており、ゆっくり拝見するには閉館直前に再度、まわるという半日がかりでした。
しかし、しかし、かなり良いモノを見せていただいた眼福の時間でした。
これだけの、運慶「作品」が、集められるというのは、貴重な一ヶ月半ではないでしょうか。
美術館での「作品」となっている仏像ですが、本来の「居場所」はここではありません。
お寺の宝物館のガラスケースのなかにおられる事もあるけれど、仏さまって、暗いお堂でお香の香りのなかで静かに手をあわせて、見上げる対象です。
さらに、秘仏だとしたら、お逗子の向こうで見えない事も多いです。
その仏さまが、目前におられて、しかも、背中まで見える、というのはこうした美術館ならではです。
運慶の仏像の動きの素晴らしさ、あるいは衣の下にある肉体を感じさせる緻密さがあり、そのなかでも、人間にちかい八大童子の像や、無著・世親(むじゃく・せしんり)の像は、生きている誰かそっくりでした。
無著・世親の像は、興福寺から搬出されるときには魂抜きをして、ここにおられるそうですが、そうはいっても、有り難くて思わず、手をあわせたくなりました。
→(追記)
ツイッターで、「展覧会の開幕前に、展示室で法要を行なっていますので、魂入っておられます」とリプをいただきました。なるほどね~。
でも、より人間らしくリアルに近づけようとしたら、天部(広目天などの「天」がつく仏さま)も大日如来も、もっと人間に近くできるはずですが、あえて、それをしていない気がします。
それは、神仏であってヒトではないからです。
神仏は、むしろリアルから遠くにある存在です。でも、どこかにリアルを残さないと、私たちは、心を寄せていけません。
その相反するテーマにギリギリ、どこかに答えを残しているのが運慶の仏像のような気がしました。
どこを見ているのかわからない、でも、私を見ていると思わせる、この世離れした玉眼をもつ大日如来は、その組んだ足裏の土踏まずの柔らかさに、リアルをもっていらっしゃるのです。
怒られたらコワい迫力のある増長天は、その浮きだった血管にリアルを残しているのです。
最近は、仏像をX線CTにかけることで、像内納入品の調査もすすんでいるようです。
この仏像をつくろうとした方の祈りを感じます。
仏教、仏像という手段を手に入れ、リアルから遠い存在をギリギリ、リアルに近くすることで、救いを得られる祈りの力を渡してくれているのが仏師、運慶でしょうか。
運慶学園の卒業証書をもって記念撮影ができます。「いつも、心に運慶を」(笑
混雑状況については、ツイッターで発信しています。
特別展 「運慶」 国立東京博物館公式サイト
運慶展<混雑状況>のツイッター @unkei2017komi
(追記)運慶展は閉幕しました。
朝日新聞編集委員の小滝ちひろさんのツイートに閉幕法要の様子がツイートされていました。2017年11月27日のツイートから。
特別展「運慶」、閉幕法要も終わりました。奇跡の展示空間は仏様のご帰還準備で作業場に転じました。 pic.twitter.com/tYqioOBS6w
— 小滝 ちひろ (@chihiroktk) November 27, 2017