氷川神社は、どの神社も高台にあります。
なので、ここに来るまで、麻布十番の駅から坂を10分くらい歩いて上がりました。
創建は、平将門の乱にさかのぼるそうですが、この土地は、隣にある善福寺の土地であったようです。
また善福寺の末寺の便乗寺が別当であったようで、ここは明治の神仏分離以前は、善福寺の一部というところだったのだと思います。
また、ここは高台からの眺めと富士山が見えることで、江戸の名所ともされていたそうです。
ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
疫病退散の神さま。
高台にある、ということは、この坂の下は低地だったはずです。
低地で湿気があり、水田になる土地か、あるいは悪地で使えないところは墓地になったのでしょうか。
田んぼにしても墓地にしても、感染症が起こりやすい土地であり、そこを守っているのが氷川神社の神さまだと思います。
境内は、スカッとしています。
この神社は、1990年代にはセーラームーンのセーラーマーズ・火野レイちゃんとレイちゃんのお爺さんが巫女と神主を務めていた、火川神社のモデルとされています。
当時は、「聖地巡礼」で、それほど広くない境内には、たくさんの人が訪れていたそうですが、それが去ったあとの雰囲気でしょうか。
いらっしゃるのですが、なにか、こう、囲ってあげたい。
影を作ってあげたい。
このあたり、六本木とか麻布、あるいは赤坂も、再開発がすすむ前は、ちょっと路地を入ると、もっとお寺と墓地がありました。
それから、こうした古いマンションや普通の住宅がごちゃごちゃっと建っていました。
このような風景があたりまえで、それ以外のちょっと広いところは、元の武家屋敷あとで、そこには、たいがい大使館が建っています。
今は、こうした古い住宅も少なくなっています。墓地もあまり見えなくなってしまいました。
拝殿の後ろに見えるのは、元麻布ヒルズ。
住民専用のルーフガーデンや、スパ、ワンセラーを持つレジデンスでは、光に満ちています。
なんの憂いも暗い部分も見えません。
しかし、光があたる後ろ側には必ず影ができます。
その影に住んでいたモノが、どこに行って、息をしているのかと思うと、光しか見えなくなったマンションがちょっとコワいものに見えてきました。
コメント
はじめまして、占星術の記事なども楽しく読ませていただいております。
昔、麻布十番は海だったようですよ。六本木の駅から、芋洗い坂を下っていきますよね。あのへん
砂浜だったとききました。
はじめまして。ご訪問、ありがとうございます。
そうでしょうね。今の東京湾が入り込んでいたのだと思います。
天現寺から古川橋の首都高目黒線の下の川がその「なごり」のように、思います。