おかざきさんの画が、美しいのです。
これ、原画でみたいなあ。
このエントリーでは、前のめりで思いっきりネタばれしますので、楽しみをとっておきたい方は、以下の記事はスルーしてください。
また、長文になっていますので、ご承知おきください。
この巻は、「欠け」の巻。
桓武帝の崩御と平城帝の即位があり、最澄に続き、空海も長安から日本に帰ってくるところから。
彼らは、これから社会、組織、国家というメンドくさいものを相手にしていこうとしています。
一足先に帰国した最澄は、すでにそのメンドくさいもののなかにいるのですが、澄み切った水を名前にもつ彼はさらに純粋であることで、それらと対峙しようとしています。
空海と一緒に帰国する橘逸勢は、このあと無罪の流刑となり、最期は怨霊となります。
このときは、まだまだモラトリアム(懐かしい言葉。通じるかな)な状況で、楽と書に遊んでいる好青年です。
つまり、なあーんも考えてないボンボン、のようです。
ただ、彼もお家の事情をしょってきていることは知っていて、それなりの剣術家でもあり、「なーんも考えてない」のは彼の処世術の仮面かもしれません。
その橘逸勢の「これからが人生だ」という言葉は、これから国家、政治の中心に巻き込まれいかざるを得ない彼らの予感と覚悟を示しているようです。
それは、9巻以降のおはなしに続くと思うのですが。
としても。
ここでは、それぞれが「欠け」を求めています。
空海と最澄は、世界を完成させる、変えるピースである仏教、密教を。
平城帝となった安殿(あて)親王は、父、桓武帝の愛を。
声がデカくて、ガサツで戦闘の現場だけをしか知らないような坂上田村麻呂「でさえ」も、阿弖流為(アテルイ)という「欠け」があるのです。
「欠け」があるのは悪いことでしょうか。あるいは、不幸な事でしょうか。
ただ一人、「欠け」がないように見えるのは藤原薬子。
藤原薬子は、自分の欲望のままに、台盤所に入って手づかみでザクロを食べる姿で、復活、再登場します。
彼女のもつザクロは、タロットカードにも書かれているように女性器と豊穣の象徴です。
オンナを使って、富と名声を手に入れたのよ、と伝えてきます。
植物の象徴といえば、別れに際して渡される柳もあります。
水と生命力を象徴し、あの世との間にある木として霊力を感じる樹木です。
(なので、幽霊が柳の木の下にでるのね。扉絵で空海が柳の下に立っています)
西洋でも、柳は魔法の杖にも使われ、あるいは魔女は柳を使って熱病を治しました。
実際、柳には、アセチルサリチル酸、つまりアスピリン(商品名ではバファリン)、という成分があり、鎮痛解熱の作用があるのです。
柳を持っていくのは、旅先での水に困らないように、霊力を保つ続け、ケガや病気からの回復を祈ることが象徴されているようです。
もひとつ。別れの場面で橘逸勢に渡された棗(なつめ)
コマでも説明があったように薬になります。
現在でも、漢方の構成生薬には、実の乾燥したものである大棗(タイソウ)、あるいは別の種(しゅ)の種(たね)は酸棗仁(さんそうにん)として用いられています。大棗は風邪に使う桂枝湯にも入っています。他の生薬を調和させたり、滋養強壮、健胃作用があり、神経の安定の作用もあるとされます。
古代中国では、楊貴妃が好んで食べたと言われていて、これもまた、女性を象徴する植物です。
リィフォアは、自分の本名を明かし、この女性を象徴する棗を橘逸勢に渡します。
これって、プロポーズでしょ。
長安の城外で苛烈な運命がまっているとは知らないリィフォアは、棗を渡して名を明かす意味も知らないようです。
話が逸れました。
薬子が、ザクロを盗み食いすることで、再登場するところに戻します。
それを目撃した女官は、水に浮く死体となります。
コマにはありませんが、あきらかに薬子のやり方で、目の前にあるものを食べて、何が悪いの?という反論が現われています。
また、彼女は、平城帝が伊予親王とその母に対し、飲食を禁じた幽閉の処置をしたときも、「帝は悪くない、私たちは悪くな~い♪」と言っています。
この「何が、悪いの?→悪くないでしょ」という言葉は、周囲からみたら、私を否定するなら、恐ろしいめにあいますよ、という脅しでしかありません。
そして、それは、自分を肯定するためのトリックです。
自分を否定されたくないのです。
薬子は、欲望のままに欲しいものを手に入れるという自分を、そのまま愛して欲しいのです。
ただ、薬子は欲望のままにある自分を愛して欲しいと思っている事が自覚できません。
そもそも、彼女自身が愛するのは誰かわかりませんし、当然、それを伝えることもできません。それが彼女の「欠け」ですが、自覚がないので、知ろうとも思わないのです。
なので、彼女の「欠け」は永遠に欠けたままです。
自分の「欠け」が永遠に手に入らないという意味で、平城帝と良く似ています。
彼も父帝の愛を欲していたのですが、それを自覚できず、伝える手段のないままに父帝を亡くしてしまいます。
殯(もがり)、践祚(せんそ)の儀式の最中に、ずっと「なぜ?」と聞いているのは、なぜ、自分を愛してくれなかったのか、なぜ、自分が愛してると言えなかったのか、と問う事を続けているようです。
その時すでに父帝はなく、答えは永遠に返ってきません。
ただ、薬子と違うのは、彼は自分のなかのその「欠け」を自覚するのです。
「愛されたかったのだ」と。
父帝がこの世にない、この時に平城帝が自覚した「欠け」は永遠に手にはいりません。
「欠け」が永遠に手に入らないというのは、二人とも似ているのですが、自分の「欠け」を自覚した平城帝は、これ以降、怨霊におびえ続けることになります。
私は、「欠け」は、動きを起こすものだと思います。
偏っている、部品が足りないものは、重心が傾き、動き始めるのです。
空海と最澄も「欠け」を探しています。動いています。
彼らは仏教、密教がこの世界を完全にする、と言っています。
自分のなかの「欠け」ではなく、世界の「欠け」です。
でも、真理(仏教、密教)が道を照らすのはそうでしょうけど、そうはいっても、明日の食べ物に困る時に、そんなモノ、ハラの足しにもならんのでは、とも思います。
しかし、帰国して滞在した太宰府の寺での説法で、空海は完全に人々の心をつかんでしまいます。
暗夜に燃える炎も、密教の儀式の作法も、そのツールではあったと思うのですが、キモは、空海の声。
これは文献も資料もないので、おかざきさんが描く世界のなかの話、とする方もいると思うのですが、私もそう思うのです。
たぶん、ブッダもキリストもいい声してたんじゃないかな、と思います。
声は波動。
意味がついてくるのは、そのあとです。
なので、世界を変える事ができるのです。
そして、空海と最澄の求める世界の「欠け」を求めるというのは、危険な道だと思うのです。
この夏、オウム真理教の一連の事件で死刑が決定していた服役囚の全員に、刑が執行されました。
オウム真理教については、まだ解明されていない部分もあり、被害者の傷も癒えていないと思います。
死刑自体についてここで論じるつもりはありませんが、オウム真理教も、自分や世界の「欠け」を満たし完全にすることが、少なくとも当初の目的だったのではないでしょうか。
真理を求める、あるいは霊性、宗教性を高めるというのは、つい間違えると、そちらの側にいくものだと思うのです。
自分の話で恐縮ですが、オウム真理教の事件は身近で起きました。
友達の親がオウムによって殺され、実家が新東京本部の近くにありました。
なんとなく、うさんくさいウワサがありましたが、選挙やテレビに教祖がでていたし、そういうもんか、と思っていました。
秋葉原にはヘッドギアをつけたパソコンショップの店員がいましたが、いまのメイドカフェのコスプレみたいな感覚で見ていました。
そんな日常のなかで、テロの未遂事件、それから地下鉄サリン事件がありました。
日常にはいってくる異常を異常としていては、日常がまわりませんが、それを異常と察知して、そこから逃げる、それを遠ざけるというセンサーと行動力がないと、日常でさえ、オウム側に動いていくのだと思います。
ましてや、宗教性や霊性をさぐる時には、ふとしたきっかけでそちら側に動いていくように思うのです。
空海と最澄の大きな「欠け」は、ひとつの方向に突き進む大きな重心の偏りがあります。
しかし、空海と最澄はそうした危険な道を、これからも一筋の光を、しかも、たぐっていくような方法で歩んでいくのだと思います。
そして、それは複数、阿吽の二人であったから、できるものだと思うのです。
坂上田村麻呂でさえ「欠け」がある、と先に書きましたが、彼は、だた声の大きなだけの男ではないと思います。
坂上田村麻呂の「欠け」は、自分の「欠け」に飲み込まれていたときに、それを「欠け」だと知らせたくれた阿弖流為を「欠け」たという複雑な男です。
古くから水の湧く聖地であった清水という場所に寺を造り、死後も人柱のように都を守っているような男が、戦闘だけしか知らない、ガサツで声のデカいだけの男ではないはずです。
また、坂上田村麻呂は、入り組んだ「欠け」を持っているので、ひとつのピースがハマれば終わりではないのです。
「欠け」がいくつかあるということは、重心がアチコチに動くという事でもあり、あるいはひとつの「欠け」が埋まったとしても、動き続けることになります。
そして、入り組んだいくつもの「欠け」を持ち続けるのは、強さも必要だと思うのです。
坂上田村麻呂の強さは、戦闘能力の高さではなく、ホントはそこなのではないでしょうか。
「欠け」は人を不幸にするかもしれませんが、人を強くすることもあると思います。
そして、私は「欠け」は、人も世界も動かしていくもので、不幸な事、悪い事だけではないと思うのです。