いま、唯一の「待っている」漫画。
今回も、「ああ、やっと来た」と息をするのも忘れるくらい没頭していました。
おかざき真里さんのさんの「阿・吽」
連載の時の、大きい絵で読むのも楽しいけれど、単行本になったときのデザインの美しさが、すばらしいのです。
この巻は「エロい」です。
そして、おかざきさんの描く線のエロさ。
均等で、バランスのとれている自然や宇宙の美とは真逆の、不自然さのエロスにあふれた線。
それは、「いびつなものが持っているエロス」であり、「いけないものがもっているエロス」であり、「死にひかれるエロス」でもあるのです。
例えば、それは足のない美女や、肉親だったりして、本来はエロスの対象ではない、対象としてはいけない、とされているもの。
でも、眼をそらそうとすると、その「いけない」ものは、むりやりこじあけて入ってきます。
単行本の帯に末次由紀さんが書かれているように「細胞の隙間をこじあけてくる」ものです。
そして、むりやりこじあけてくるものは、エロスだけではありません。
登場する空海の書は、自分がフタをしている自分の暗い部分、あるいは無意識に封じこめた自分をこじあけて、目の前に登場させてくるのです。
空海の生の声も、たぶん、そのような「効果」があったのだとがあったのだと思います。
言葉の内容はわからなくても、文字が読めなくても、その声を聞いただけで、あるいは文字を見ただけて、感じたはずです。
胸ぐらをつかんで、ぐらぐらと揺さぶられるような声と、龍がたちあがって花がさいていくような文字。
でも、そこに感じるものは、実は自分自身。
龍がたちあがって、花が咲いていくように感じる者がある一方、見ないように封印した自分の弱さを見てしまう者もいます。
申し遅れました。この漫画は、最澄と空海の物語です。
この巻では、彼らが実際に出会い、唐に渡るところが描かれています。
教科書にでてくる坊主の話が、こんなにエロくて、おもしろくて、どうするんですか。
この巻の最初は、空海は、遣唐使からはずれて絶望の底にいます。
でも、絶望の底にいたとしても、自殺はしません。
それは、彼が「真理」を求めているという事もありますが、一方、子どもの頃から怨霊、生き霊が見えていたので、死んだところで、ナニがかわるとも思えない、と感じているからだと思います。
彼が求めているのは、生死を超えているのです。
だからこそ、生きている証拠である「身体」がこの世の手がかりであり、父に教えられたように、その身体で感じる真理をつかもうとしているのではないでしょうか。
唐にいけず、その絶望の底を這う空海と、天皇と国家を背負って唐に渡る最澄を出会わせたのは、丹生都比売(にうつひめ)です。
彼女のつくる結界のなかで二人は、出会います。
出会った時、最澄は帝の主催する壮行会の帰りで、当時の最高級車である牛車に乗るところ。立派な袈裟(けさ)をつけています。
一方、空海は、半分、この世のものではない姿に変わっています。
その空海を現世に引き戻したのは、最澄の手。
そして、空海が再び誕生し、赤ちゃんが生まれた時に泣くように、泣くのです。
「弟子空海、性薫(しょうくん)我を勧めて還源(げんげん)を思いとす
径路未だ知らず、岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く」
かなり先の話になるのですが、空海は、丹生都比売の懐ふかく、高野山奥の院に入定します。
一方、最澄の晩年に関わってくる徳一は、奥州に旅立ちます。
物語のメインストリームではないのですが、私は徳一菩薩と呼ばれる彼が、東北の地でどのような物語を創っていくか、も興味があります。
そして、徳一を、見送る霊仙。三蔵法師となるようにアタマもよく、ちょっと食えない感じで、「美坊主」な色気のある彼は、日本に帰る事なく亡くなるわけで、お互いを見送る彼らは二度と、現世では会えないのです。
実際の現世でも、空海と最澄は出会います。
二人がであった読誦の場面は、緊張感と高揚感に満ちています。
彼らは、この世に、自分を理解するもの、高めるものがいる事を確認し、唐に渡ります。
そして、次の巻で唐での物語が始まるのですが、物語を予感させるキャラクターたち。
橘逸勢(たちばなのはやなり)、唐一の詩才の技女、ゾロアスター教徒の友人、李白、男装の姫君・・・。
このあたりでドキドキする方は、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」も読んでみて欲しいし、
夢枕獏さんの空海については、ちょっと古いのだけど「空海曼荼羅」もおすすめします。
この巻の安らぎは、空海が父の佐伯氏の船で、遣唐使船を追いかけていく数コマ。
父子の寝相がそっくり。
空海の文章や書は、その人の「阿頼耶識(あらやしき)」に届き、「読むものが、勝手に見るのだ」そうです。
この阿・吽もそうかもしれません。
読む者の数だけ、ストーリーがある、という美しいオチではなく、「いけないものがもっているエロス」を鼻息あらく語った私を、さらしているわけです。
怖い話だ。