毎度、前のめりの「感想文」になって、みっともないのですが、これは、スゴい漫画です。
書かずにいられない。
以下、ネタばれあります。知りたくない方は、ここまでで。
この巻は光と影。
長安の夜の光のなかの空海と、長安に入れない昼の室内の闇にいる最澄。
光と影、太陽と月、生と死、表と裏、あなたと私、そして、最後は道が分かれていく最澄と空海、阿吽。
光があるから、影ができるし、表があるから裏もある。
始まりがあって、終わりがある。
光と影のように、生の喜びを謳う長安の花咲く春の季節に、それぞれの登場人物の死が語られるところから、第六巻は始まります。
この長安の春を謳歌する誰もが、死んでいくというあたりまえの事実。
死の隣にあるからこその、生の喜びでもあるようです。
ところで、仏教ではなく、スピリチュアルな考えで恐縮なのですが、この世界はパラレルワールドであるという考えがあります。
いま、この世界の他に、パラレル(平行)して、いくつかの世界が存在しているという考えです。
すべての意識、あるいは意識のないとされれいるモノも含め、それぞれの世界と時間のなかに住んでいて、例えば、過去や未来もその時々の意識から生まれるもの、という考えです。
そして、そのパラレルワールドは、この巻では「十玄門」とされているように読めます。
「各々(おのおの)が独立した世界観をもち、違う階層(レイヤー)を成し平行世界である。しかし、時に超越し、交わり、らせんを描き、華厳究極の事事無礙法界(じじむげほっかい)を成す」と。
これって、パラレルワールドってことでしょ。
空海、最澄、そして霊仙の三人の僧。
彼らもそれぞれのレイヤーを持っていて、それぞれ、仏教のなかで真理(ダルマ)にアクセスしていきます。
霊仙は、そのアクセスのなかで過去の自分と出会います。
霊仙のであった過去の自分は、レイヤーを超えて、パラレルワールドを超えて出逢った自分。
過去の自分との遭遇し、それを許した霊仙と、霊仙を受け止めた空海の肩には、泥から咲く蓮が花が一輪咲いていました。
そして、近所のおばちゃん視線でみてしまうと、空海も最澄も「大きくなったなあ」と思います。
子どもの頃の空海は、コントロールされていない霊性から、奈良の地から這い出す怨霊をみていましたが、いまは彼は建物とそこにかかる文字を読み解いています。
それは、彼が霊性を失ったということではなく、霊性をコントロールでき、身体としっかり結びついているからだと思います。
また、最澄も、比叡の山の炎上のデジャビュをみて泣いていた子どもではありません。
あいかわらず、袖の匂いを嗅いで安心しているカワイイところもあるのですが、自分の運の悪さを認めて、受け止める強さもあります。
生と死、光と影、といった二項対立が際立つ巻ですが、私はそれがメビウスの輪のように感じます。
真理を追究する最澄と空海の二人は、メビウスの輪の違う面ではないでしょうか。
高く、高くと意識を上り詰めていく最澄が天辺にいたります。ここが頂上か?と。
また、空海は深く、深く。動物としての欲求のさらに底へ、と。
・・・と、そこで二人は出逢います。
「阿」(あ)
ここでもレイヤーが交差しています。
でも、メビウスの輪のように、「高く」は、「低く」と同じ事になっていると思うのです。
また、空海、嵯峨天皇とならび三筆と呼ばれている橘逸勢が、空海とともに長安にいます。
これは、私の「レイヤー」なのですが、霊仙と橘逸勢がともに、最澄と空海のようにメビウスの輪であったら、と考えてしまいます。
日本人の三蔵法師となり仏教の秘法を修めたゆえに、日本への帰国を許されず、また最期は毒殺されたという霊仙。
また、騎馬民族の男装の姫 リィフィアとのコンビも楽しい橘逸勢は、実は剣術もできる武闘派でもあります。
しかし、彼は、帰国後、祖父と同じように無罪の罪で流罪となり、亡くなっていき、怨霊となっていきます。
もし、この二人がメビウスの輪であり、帰国したのが霊仙であったら、唐にのこったのが橘逸勢だったら、と。
霊仙は、最澄と空海の間に立っていたかもしれないし、橘逸勢は唐の朝廷のなかで着々と出世していたかもしれない、と思ってしまうのです。
でも、それは交わることのない別のレイヤー。
この春爛漫の長安では、妓女の清玄機(せいげんき)と平安時代の日本文学に大きな影響を与えた白居易の「悲恋」も描かれます。
空海が代筆した白居易のラブレターは、ため息のでるような美しさ。
清玄機のうすものの着物のしたには、下着の一枚もない豊かな胸と太ももを確信させるエロさがあります。
そして、美しいといえば、大きな月がかかり、花の舞う春の夜の宴。
梨の花がこぼれるような愛する清玄機をフッた白居易と、花で飾る華厳という仏教の真理をもとめる空海の前で、レイヤーが交差します。
それはおそらく、花咲く春の夜の酔いに、アチラ側とコチラ側が一瞬、混じり合った奇跡。
白居易の前に、亡くなった李白が現われ、酒宴を楽しみ、月の光のなかに消えていきます。
そして、二項対立は続きます。
春の夜の夢、から、一転。
メビウスの輪のなかにある空海と最澄は、密教という当時の最も新しい思想に向かう時、ふたたび、レイヤーを超えて、過去で遭遇します。
20年前の、二人の最初の遭遇。
レイヤーが交差した二人は、そこで同じように、真理に向かおうと最澄に誘う空海にさそいます。しかし、最澄は桓武帝が病に倒れられた事を聞き、日本へ帰国します。
空海は、一人で真理に挑む覚悟をします。
そこから、空海と最澄は、それぞれの別の場所に向かうのです。
自分の強烈な好奇心だけで、真理に向かおうとする空海と、真理を知ることで国家やみんなの救済しようとする最澄。
メビウスの輪は、中央で二つに切ると、大きな輪になります。
この二つに分かれた二人の輪が、いずれ大きな一つの輪になっていくことを願っています。
第一巻、第二巻、第三巻、第四巻、第五巻についても、書いております。
[Möbius band] メビウスの帯を真ん中で切るとどうなる?【毛糸で実験】 (動画です。音でます)