帰りは北門から戻ります。
本殿の左からでてくる事になります。
大きな杉を切った切り株と、
なんか大きな岩とその下に祠がありますね。ちょっと暗い・・・。
奥宮の山頂への登山道の地図があって、
それをみると、途中、クサリ場「危」などとあるので、
本格的な装備がないといけないようです。無理。
下りの道の左右に大きな岩。
頂上に小さな祠があります。
ここでは山全体のパワーがすごいので、相対的にあまり感じませんが、
他の場所でみたらかなり大きな力があると思います。
御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)や、
豊受大神(とようけのおおかみ)
菅原道真、権大納言長親卿とあります。
権大納言長親卿は、ちょっとわからない人物なのですが、
「妙義」と名付けた方で、この神社の宮司もされていたようです。
日本武尊は東征の伝説で関東近辺に多くいらっしゃるし、
豊受さまは伊勢の方。菅原の道真さまは天神様です。
開運、商売繁盛の御利益だそうですが、
どこにも天狗さまは書いてありません。
誰もが知ってるのにねぇ。
でもこんな岩の上にはいらっしゃるようです。
先ほどの波己曽社(はこそしゃ)までもどってきました。
2007年の台風で本殿の裏山が崩れて
2012年12月に復旧されるまでは、
波己曽社が仮殿とされてあり、
また御祈祷もここでされているようです。
ちゃんといらっしゃいますね。
波己曽(はこそ)は岩の意味だそうでもともと
今、でてきた北門のところにある岩に接して
建てられていたそうです。
先ほど出てきた門のところの祠でしょうか。
あそこはちょっと鬱屈した感じがしましたけど、
ここにでていらっしゃって、
むしろ、のびのびしているようです。
となりには小さな池もあって弁天様もいます。
それから御社殿のうしろに、聖徳太子?
参拝するとこの碑も参拝することになります。
帰ってから調べたのですが
「斑鳩の夢殿で聖徳太子が思いをめぐらせていると、
仏が現われ、妙義を告げた」と。
太子信仰もからんでるのかな?
(今の、なのかな?)波己曽(はこそ)社は
天狗社のような「コワい」感じはしません。
不思議ですね。同じ神社なのに、かなり雰囲気が違います。
もともといらした岩を依り代にした古代の信仰に、
天狗さま、伊勢の方々、聖徳太子、それから天神様、
南北朝の宮司さん、それに仏教との神仏習合時代と
廃仏毀釈を経て、現在。
幾つもの層になった場所ですが、根本は生きています。
こちらは北門のところにあった杉の切り株。
根は生きているから、小さな杉がでてきました。
妙義神社 ( リンク )