日本全国、各地方に一之宮(一の宮)があります。
その地方の代表的な神社、あるいは、ヤマトの雰囲気があるそのあたりで一番大きな神社くらいに思っています。
近くに鎮守の神社がないときは、その都道府県の一の宮という感じ。
一の宮の成立についてもいろいろあって、どの文献、記載を根拠にするのかにもよるのですが、この小野神社を武蔵の国の一の宮としているところもあります。
公式サイトにもその経緯がのっていて、サイトの名前も「武蔵一之宮 小野神社」とあります。
武蔵の国の一の宮、二の宮、三の宮については、一の宮が氷川神社(氷川男体神社)、二の宮が二の宮神社(あきる野)、三の宮が氷川神社(一の宮と同じ氷川神社、あるいは氷川男体神社)としている例もありました。
(また、一の宮の氷川神社は、氷川男体神社(現在の氷川神社)、氷川女体神社、中山神社の三社を総称して氷川神社としていたともありますが、ここでは話が氷川神社の話はないのでここまで)
この近くには大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)があります。
とても大きなお宮ですが、そちらは、一の宮ではありません。大國魂神社は、武蔵国総社であり、このあたりの神さまが集まっているお宮です。
中世以降は、この地方で力をもってきた武士の集団がありました。それぞれの地方の武士の集団を抑える意味での小野神社の一の宮があったそうです。
(一方、氷川神社は三の宮)
その後、室町時代になると、武蔵の国でも内乱が起きて、この宗教的な抑えがきかなくなります。
それとともに、相対的に近くにある大國魂神社が強くなり、また、一方、氷川神社は武士たちの崇敬を集めていったのではないか、という説明がありました。
これは氷川神社が武蔵の国の一の宮であり、三の宮である、ということも含め、納得できるものでした。
広々した境内もあってなんか、丸見え感があります。
周囲は住宅街であり、大きな木はあるのですが鎮守の森はありません。
深読みになってしまうのですが、瑞垣のないご様子からして、意図的にこんな配置にしたんじゃないかな、とさえ思います。
すごい彫刻がされています。
感動したので、動画にしました。
この中には、1319年の作である随身像があり、そこに武蔵の国の一の宮という墨書があったそうです。
左側はスロープになっています。公式サイトによると、神職がご不在の時もあるようですが開扉されていたり、丁寧に手をいれておられるご様子です。
武蔵の国の一の宮の歴史、この地の武士の力はあるのだと思うのですが、神さまとしては、そこはあまり関係ないんだろうし、なんだか柔らかな感じのする神さまです。
ご祭神は、天下春命(あめのしたはるのみこと)です。
饒速日命(ににぎはやひのみこと)に従った神さまのうちのお一柱。饒速日命(ににぎはやひのみこと)は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨に先だって、天津国より天降った天津神。
武蔵国開拓の祖神だそうです。
ほかにご祭神として、 瀬織津比咩命 伊弉諾尊 素盞嗚尊 大己貴大神 瓊々杵尊 彦火火出見尊 倉稲魂命がありましたが、
こちらは多摩川が近くにあり、この向こう側には同じ名前の小野神社があります
多摩川の氾濫によって、ご遷座、分祀されているのでしょうか。
社務所にはご祭神のお一柱である瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)の御朱印もあって、私も珍しいなと思いました。
また、古くのご祭神は、瀬織津比咩命だったとも聞きました。
瀬織津比咩命は流れ、水の神さまでもあり、祝詞にも登場される古くからの神さま。
多摩川の氾濫をお治めいただくことが、この場所を開拓するうえで大事だったんでしょう。
ご祭神で見慣れない方がおられて帰ってから調べました。
方便神社のご祭神は、鹽土老翁命
日代神社のご祭神は、大足彦忍代別命(景行天皇)
安津神社のご祭神は、日本足彦國押人命(孝安天皇)
堰宮神社のご祭神は、水分神
子安神社のご祭神は、木花開耶姫命
伊勢神宮内宮・伊勢神宮外宮 三嶋神宮 八坂神社 愛宕神社 鹿島神社 厳島神社は、こちらにもおられました、というおなじみの神さまです。
拝殿と本殿は別になっています。
穏やかです。
やや人工的なカタチにまがっていきます。
開放的すぎる造りもあり、本当は別の境内が広がっていたんではないかな、と思いました。
武蔵の国を開拓され、その時代の流れや多摩川の氾濫もあり、いろいろな方の縁を結びつつ、こちらに静かにおられて見守っていただいている神さまです。
武蔵一之宮 小野神社 https://onojinja.or.jp/