墨東とは、東京の隅田川の東の地域のこと。
東といっても、隅田川と荒川にはさまれた地域で、行政の区分でいうと、主に墨田区、江東区にあたります。
また、はさまれた地域、といっても、海に近い、佃や月島のあたりは、墨東とは呼びません。
生粋(きっすい)の江戸っ子というのは、隅田川の西側、江戸城、将軍様のお膝元(ひざもと)に住んでいる。
それに対し、隅田川の東側は、川向こうだ、と言っていました。
その地に縁もゆかりもある私は、それがどうした、と思うのですが、ホンキで怒る人もいて、また、差別用語の意味も含まれてしまうので、ホントは、使われないことが多いようです。
加門さんは、この地域の生まれ。
変っていく様子を見てきて、惜別の念をこめて、書いていらっしゃいます。
この本の、目次の最初が「怪談の聖地」
四谷怪談、牡丹灯篭、乳房榎は、墨東で始まる物語。
今は、スカイツリーがある場所も、もとは、ごちゃごちゃとした場所でした。
そのごちゃごちゃした路地には、小さな影がいくつもできて、それが、この場に棲むカタチをもたないモノたちの棲みかになっていたと思いました。
いまは、再開発されたスカイツリーの足元は、すっきりして、小さな影は、ほとんどありません。
「辰巳」も、墨東の地域の名前です。
今は、辰巳というと、国際水泳場という大きなプールのあるあたりに、辰巳駅があるのですが、
そこは埋立地です。
江戸の頃は、海の中。
辰巳とは、もともと、深川八幡、つまり富岡八幡宮のあたりです。
深川とは、江東区の南半分の地域をさします。
深川には、材木を扱う商人の多く集まる木場(きば)という一角もあって、川や堀に、材木を浮かべて貯木場として使われていました。
「川向こう」には、こうした堀や川も多くあって、そこは、水に沈むモノ、川に流れ着いてくるモノが集まる場所だったのです。モノは、土左衛門という水死体だったり。人間ではないモノだったり。
また、この地域では、江戸から東京に至るまでに、大きな災害にもあっています。
江戸の頃の明暦の大火、関東大震災、東京大空襲。
それぞれ10万人という命が亡くなっています。
再開発ですっきりしたとはいえ、川向こうには、今も多くの小さな影があって、流れ着く川があって、亡くなった方も多くいます。
火事や戦争で亡くなった方の慰霊塔は、この本にでてくる場所以外にもあります。
そして、いろんなモノがまだ、そこにいて加門さんも、怖い思いをされていたようです。
また、加門さんに限らず、ここに住む者は、そんなモノたちの気配を感じていたのです。
だから、そんな土地を踏みしめて、建っているスカイツリーを見ると、それを伝わって天に昇っていく、多くのモノがあるように見えます。
東京タワーは、朝鮮戦争で壊されたアメリカの戦車をつぶして作られたと、アースダイバーで知りました。
戦争の記憶の天国への階段だった東京タワーに対し、スカイツリーは、江戸の大火事と、関東大震災、東京大空襲の記憶の天国への階段なのです。