群馬には、古代、渡来人が多く住み、また、古墳も多くつくられています。
また、大和地方と武蔵(埼玉、東京)をむすぶ古代の東山道が走っており、
当時の中央集権と、この地方の豪族、渡来人の結びつきも強かったようです
古墳というと、奈良の天皇陵とか、大阪の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のような
大きなものを想像しますが、
群馬や埼玉の古墳は、公園のつきやま、くらいのものが多く、
あまり、大きくありません。
田んぼのあぜ道の小高い丘が、古墳だったりします。
また、この地方の古墳は、8世紀にはいっても作られているのがおもしろいです。
8世紀っていったら、大仏開眼です。
仏教という新しい思想で、国づくりと救済をしようとしていた時に、
東国の拠点となる群馬では、古墳。
しかも、バンバンつくっている。おもしろい。
という事で、この神社も古墳の上にあります。
上毛古墳綜覧というこの地方の古墳を調査した本によると
藤岡町1号墳と記載されているそうです。
小高い場所で富士山を模しているので、当然、富士塚でもあります。
横からみると、人工的な高い場所であることはわかりますが、
どんな形の古墳なのかは、ちょっとわかりません。
ご挨拶します。
浅間神社といっても、いろいろなのですが、
ここは女性っぽいなあ。
富士山というより木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の感じがします。
ご由緒書きによると、やはり墳墓の上に祠をたてたのが最初とあります。
平安時代にかかれた、この地方の神名録によると
こちらは、従五位上の郡御玉明(こおりうたまみょうじん)の一社として
藤岡の地の守護神とされたが神社としての始まり、とのこと。
で、この郡御玉明神は、わかりませんでした。現存していないのかもしれません。
近くの藤岡市高山に御霊神社、というところがあるようなのですが、確認できませんでした。
さらに、日蓮上人がこの地へ、木花咲耶姫を勧請してから浅間神社となったとのこと。
日蓮さん、すごい。
左右の提灯。
葉っぱみたいな方は、富士浅間大社とのつながりを感じます。
この神紋は、富士山信仰の神社にある天狗のウチワか、
あるいは、浅間大社の宮司の棕櫚(しゅろ)と言われているそうです。
いずれにしても、浅間大社とのつながりを表します。
もうひとつは、桜。木花咲耶姫の花。
神社の行事とは関係がないようですが、地元の子ども会の行事のようでした。
まわりのテントでは、大人も子どもも、うどんをみんなで食べています。
古墳という大きなお母さんの前で、暖かい場所だなあ、と思いました。
富士浅間神社 (群馬藤岡)
群馬県のページ 古代群馬の姿
埼玉、群馬の古墳については、埼群古墳館さん(別館)が詳しくて、楽しいです。
参考にさせていただきました。