熊野十二社(じゅうにそう)の大鳥三社です。
ここ、古い方だなあ。パワーもあるし。
でも、どなただろう?
もしかしたら、熊野権現をこちらに勧請する前にいらした方かな?
公式ページには、このお社についての記載がありませんが、大事なところだと思うのです。
ここでは、酉の市もあるので、大鳥、であれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)がご祭神なのかな。
でも、熊野の三社であれば、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社(新宮)の三社、三山のはず。
で、ここは「熊野神社」なわけで、熊野の方だとしたら、熊野三山は、末社ではなく、本殿におられるはず。
あ、もしかして、本殿におられない?
再度、公式ページをみます。
「明治になって、ご祭神を櫛御気野神(くしみけぬのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)とし」とありました。
櫛御気野神は、須佐之男命(すさのをのみこと)です。伊邪那美神は、その母かみさま。
この二柱の方々は、熊野大社のご祭神ですが、熊野大社では、このお二人だけがフィーチャーされているわけではないのです。
熊野はカンタンに伝えられていないのですが、単体の神さまというところではないのです。
本殿におられる方は、明治になってご祭神とされた方で、それまでのご祭神は今は本殿にはいらっしゃらない感じです。
最初は、熊野から勧請された12のお社の神さま、ということですが、少なくとも、勧請された当時の室町時代の熊野の神さま、でしょうか。
でも、それを勧請したとされているのが、当時の長者さま、お金持ちというところが伝わってきています。霊的に力のあった人ではなく、長者さまというのは珍しい。
この中野長者 鈴木九郎の娘が、父の強欲のために、この神社の目前にあった十二池に飛び込んで蛇となってしまった、という話も伝わってきています。
さすがに、神社の公式サイトでは書いていませんが、池という欲とか、人の気持ちが溜まりやすい場所だったことがわかる話です。
一方、現在の熊野はやはり明治になってから、かなり古いお社がなくなってしまっているところなので、いまの熊野神社のだけをイメージするのも、ちょっと違っています。
そうか。最初は、本殿におられた熊野のいろんな神さま、特に神仏習合の色が濃かった方々が、明治になって神仏分離の時に、こちらに移られたのでしょう。
その際、こちらにもともとおられた、大鳥さまと合祀された、というところでしょうか。
日本武尊は、ある意味、お目付役とも思えます。
だから、本殿では、あまり熊野っぽくなかったのかもしれません。
新鮮なお供物が捧げられていて、ご奉仕する方の気持ちが感じられます。
以前より、ずっと清浄な様子です。
蛇に変わって池に飛び込んだ娘は、その後、天に昇っていったという最後「も」あるようです。
今は、水の記憶は高層ビルにからんで、天にあがっていっているようです。
なるほど。
本殿にご挨拶したら、こちらにも。
新宿十二社 熊野神社
中野長者のはなしは、中野区のサイト「中野長者伝説を御存知ですか」