新屋山神社へは、5年以上前に来たことがあります。
その時すでに、「金運神社」の評判だったのですが、いまはどうなっているんでしょうか。
5年前の記憶をもとに、なんとなく、こんな感じで、とたどっていったのですが、このあたりには、山神社という神社が、たくさんあったりして、車だとなかなか駐車場に着けないこともあるようです。
この神社の駐車場の隣の「人材開発センター富士研修所」を目印にするといいかもしれません。
また、奥宮は、車でないと無理です。奥宮の地図もサイトにあるし、本宮でもらえるのですが、これもアバウト(笑
でも、まあ、富士山に向かっていって、なんとなく突き当たって左。
そして、冬期は滝沢林道が閉鎖になっているのでご注意を。
で、心配になるくらい登っていって、看板を見過ごさずに。
大丈夫、ご縁があれば必ず行けます。(笑
この前は、川が流れていて、富士山の神社らしさが、ありましたが、せまい道にもなっていて、車で通るのは、ちょっと厳しい幅だったのですが、暗渠のようにフタがされていました。
道がコンクリートで広くなって安心になったのですが、川が見えないのは富士山の神社らしさがなくなって残念。
参拝者が増えたということでしょうか。
そして、森のなかを鳥居をいくつもくぐります。
以前は、気がつかなかったのですが、こうしてみるとお稲荷さんによく似た波動があります。
この鳥居のようすもそうですし、この地にくる人の金運アップへの願いが、ここに残っているのかもしれません。
鳥居の前に川がなくなって、富士山の神社らしさがなくなったなあ、と思ったのですが、考えてみたら、富士山の神社らしさ、といのは、この神社にはないです。
これは帰り道ですが、森の中の鳥居。やっぱり、稲荷っぽい。
あれ?スッキリしています。
森のなかで鳥居をくぐっていた時に比べて、スカッと抜けた感じがするのと、以前に参拝したときは、もっとゴチャゴチャした感じがして、新興宗教の拝殿とか、霊能者の神殿のような、ナンデモアリ感があったのですが、なにか片付けた感じがします。
なんだろう。
前回の記録がないので、印象しなかいのですが、境内に摂末社がもっとあったんだろうか。
ご挨拶します。
神職の方が出ていらして「お祓いします」とおっしゃっていただきました。祓いの祝詞と、大幣(おおぬさ)で祓っていただいてから、参拝。
他の神社ではないことです。
でも、以前は、もっと他の神社ではない事もありました。ちょっとマイルドになった。
前回は、拝殿に入ると、すぐに「どうぞ」と言われ、すすめられるままに、ご昇殿して、ご祈祷し、そのあと、「お伺いの石」を持ってみてください、といわれ、いくらかをお納めするところまでがワンセットというか、そういう所だったのですが、それがありませんでした。
今も、公式サイトには、「玉串料はありませんが、志を奉納できます」とあります。(2016年10月)
もちろん、お願いすればご昇殿させていただけますし、その「お伺いの石」もありましたが、富士山の世界文化遺産登録にともない、かなり変わってきたんでしょうか。
ご挨拶して感じるのは、富士山の原始のパワーでもなく、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)でもなく、大山祇大神(オオヤマツミノカミ)の強さです。それより強く生きている人の気持ちを感じます。
この地を守っていらっしゃる方、崇敬される方、奉仕される方、参拝される方たちの生きている人の気持ちが強い。