拝殿で参拝したあとに、境内をまわります。
金運神社であるなら、お稲荷さんも大事。
でも、こうしてお稲荷さんに参拝すると、この新屋山神社の金運は、お稲荷さんと違う事がわかります。
お稲荷さんは、直接、毎日の生活に関わるような金運、それに対し、この新屋山神社の金運は、会社とか銀行とか組織、あるいはケタの大きなお金の話のようです。
木が途中でひとつになっています。
本殿の横にあるお社ですが、ちょっと、よくわからない手形も拝んでしまうカタチになります。でも、以前は、こんな感じのヒトの気配のするお社が、もっとあったような気がするのです。
ここに、なにかあったと思うのです。
そうでなくても、踏みつけていい場所ではありません。
左のお社が末社の小御岳社なのですが、右の大黒様、恵比寿様の彫刻は、金運神社なので、アリでしょうけど、その真ん中に、七福神の彫刻。これ、男根に見えるのは、私の見過ぎですか。ここに向かって参拝することになります。
リンクをはったサイトが、わかりにくいので、境内にあった看板がわかりやすい。
ご祭神のところに、「神は人の敬いによって威を増し、人は神の徳によって運を添ふ」とあります。
この神社と奉仕される方、参拝される方をよく表わしていると思います。
自分の必要な経験というのは、つらい体験もあるので、それを含めて受け入れて感謝するのは、難しいけれど、大事な事だし、それが現世にいる意味でもあります。
でも、現世に生きている以上、ナマミの身体を養わなければいけません。なので現世で有利だったり、ラクだったりする経験を引き寄せる、お金という経験を引き寄せるというのも、必要なことだと思うのです。
現世利益ばかりだと、この世でする経験も限られてしまう。
かといって、ナマミの身体を養う以上、お金も欲も必要。
というのを扱のは、難しいバランスなんだなあと思いました。
授与品のなかにパワフルなお札があったので、いただいてきました。
授与いただくには、住所と名前を記入する必要があったので、記入したところ、あとになって参拝のお礼のはがきが届きました。
授与いただくために、住所と名前が必要、というのも他にないなあ、と思ったのですが、わざわざ、お葉書をいただくのも、珍しいです。
他の神社で、ご昇殿してご祈祷したあとに、葉書やお祭の案内をいただくことはあるのですが、授与品にアフターフォローがあったのは、初めてです。
鳥居をでると、声をかけられました。
「ここ、どうやったら正しい参拝なんですか」
大丈夫です。正しい参拝を考える時点で、すでに正しいと思います。