高鴨神社は、段々畑が目の前にひろがるのんびりとした場所にあります。
背後は山で、段々畑の西はじに位置しています。
右側に鐘楼が見えます。
神仏習合のなごりでしょうか。鐘楼があると、中世や武士の感じがあるのですが、ここには、武士の感じは全くありません。
たいがいの神社では、摂社、末社は、本殿に参拝したあとに参拝するのですが、祓戸神社は別。最初にお参りしてします。
きもちのいい水です。
授与所でお聞きしたら、この浮舞台で雅楽と舞いが奉納されるそうです。
手水舎の後ろにある、小さな滝、というか、田んぼの用水路の取り込み口にも見えますが、とても澄んだ水が豊かに流れ込んでいます。
鯉が見えます。
それほど長くない参道なのですが、すごく遠くまで続いているように見えます。
距離とともに、時間までさかのぼっていくようです。
ご挨拶します。
あら?いらっしゃらない?
拝殿のうしろの本殿を探っていきますが、そこにも「いない」
この本殿は、当然、鴨氏の時代のものではないので、本来、本殿のなかにいるという時代の神さまじゃないから、かな?
それにしても、手応えがない。神さまがおられることは、確かなんですが。
どうしたんだろ?と思いながら、「呼んだら、くる」という動きのある神さまじゃないよな、と思いつつ、朱の本殿を見ています。
あ、そうか。
うしろの山です。奈良の神社のスケールを、ついうっかり忘れていました。
東京の神社だと、本殿のなかにキュッといらっしゃるので、そこに意識が集中していくのですが、奈良は、違うのです。
奈良では、意識は、のびのびと山に向かって、あるいは、大地に広がっていくのです。
そう気がつくと、背後の山におられる事がわかりました。
知らず知らずのうちに、「近視」になっていました。
背後の山は、金剛山。葛城山。
修験の山でも、あります。
奈良は、デカいなあ。
池があるので、本来は、市杵島姫命は池のそばか、あるいは真ん中におられる事が多いのですが、ちょっと離れた場所におられます。
市杵島姫命がこられる前からの、山と水の聖地であり、そちらを優先されていて、こちらに控えていらっしゃるように感じました。
また、この反対側には、西神社もあるのですが、今回はここまで。
帰ってからご由緒書を開いてみました。
阿遅鋤高日子(あぢしきたかひこねみこと)または、迦毛大御神(かものおおみかみ)がご祭神です。
古代の豪族、鴨氏つまり、加茂氏の神さまをお祀りしています。
「大御神」と最高格の敬称でお呼びされていて、「カモ」は、「カミ」の語源であり、「カモす」という「気」が放出しているさまを表わしていると。
鴨氏は、山を支配し、薬草、天体観測、製鉄、農耕技術、馬術にすぐれていたそうです。
上賀茂神社、下鴨神社の「カモ」であり、安倍晴明を見いだした賀茂忠行の「カモ」です。
そして、こちらの神社の神域は鉱脈上にあるそうです。
鴨氏は、山の鉱脈を読み、鉄器を作っているのですが、武器は作っていません。
また、天体観測をして、農耕の時期を読んでいて、薬草にも通じていた豪族。
武力の感じが、まったくしません。
鴨氏は、武力で各地にひろがっていったのではないのです。
各地でその土地に、なじんでいくように広がっていたのではないでしょうか。
宮池の浮舞台は山にむかっています。
こちらのオリジナル御朱印帳。日月(にちげつ)と山。
この神社を、よく表現されていると思います。大きく、高く、そして穏やかです。