わりと不思議なタイミングで、コトが起こるのですが、今回も。
以前から、ツイッターのアイコンを変えたいなあ、と思っていました。自分で撮った写真の素材のなかでみたり、ウェブで書いてくれるサイトもあったりしたのですが、イマイチ、ピンとこない。
だったら、自分の好きなテイストのイラストを描かれる方に頼んでみよう。受けてくれるかどうか、わからないけど。で、お願いしたのが嵐山晶さんでした。
そして、このタイミングで嵐山晶さんがイラストを描かれた「ときめく御仏図鑑」が出版されました。
仏像や、仏画はいろいろなお約束ごとがあります。
持ちものや、ポーズでどの仏さまかを表わしているので、カッコいいからといって勝手にできない部分が多いのです。
例えば、十一面観音は顔は11コある方ですが、右手は下で数珠をもっていて、左には水瓶(すいびょう)という水をいれたツボをもっているポーズが多いのです。そこから、十一面観音とわかります。
こういった持ちものやポーズ、それぞれに意味があって、それが信仰される意味になっているので、無視するわけにはいかないのです。
もっと細かい決まり事も多いのですが、そればかりに捕らわれてしまうと、ただのシンボルや象徴になっていて、美しさからは遠くなってしまいます。
でも、そんなお約束ごとのある仏さまも、創られた当時は流行の最先端のセンスで創造されていたはず。
だから、今の約束ごとでもいいはずですけど、そのあたりの兼ね合いは、難しいんだろうなあと思います。
この約束ごとについて、図鑑の最後に、監修をされた瀬谷貴之さんの言葉があります。
「最低限の基本さえ踏まえていれば図象的にはお二人で相談された独自の表現があっていい」
とされていて、筆者の門賀美央子さんとイラストの嵐山晶さんにお任せになったそうです。
また、門賀美央子さんは、嵐山晶さんのイラストを読者のみなさんに知ってほしいと熱望されていたそうです。
そんな方々の気持が伝わってくる美しい本。
なんせ、「ときめく」ですから。
美しさにうっとりします。
芥川龍之介の蜘蛛の糸に描かれる極楽を思い出します。
犍陀多(カンダタ)が再び、落ちていった地獄と対照的な極楽の世界。
そして、仏さまのご紹介の他に、御仏に会いに行くでは、「博物館へ行こう」「お寺の撮り方」もあります。
確かに、本来、信仰の対象なのでお寺のなかで手をあわせてお会いするのがスジだけど、博物館でお会いすることも多いです。
でも奈良博物館では、年に四回、仏像供養をされていると聞きましたから、単に美術品というククリではないようにも思うのです。
だって、博物館であっても、つい、手をあわせてしまいますし。
シンボルと美、というのは、時々、幸運な一致があるんだと思います。
軽い本なので旅行先にもお持ちになってお寺の参拝の参考にされるのも、おすすめです。
帯には、「No Mihotoke, No life.」とあります。仏さまがいれば、生きていける。
これって、他力本願の強い祈りです。
アナタを救うために、私があるのです。という御仏の存在。
「極楽ももう午(ひる)近くになったのでございましょう」