鏡リュウジさんの著作「占いはなぜ当たるのですか」が増補改訂版として発売されました。
とてもおすすめの本だったのですが、絶版となっていておすすめしにくい本でした。
なので、これで、堂々とおすすめできます(笑
私の持っている本では、初版は1999年とありました。
そして、当時はオウム真理教の起した事件もまだ、生々しく記憶している時。
占いとか、スピリチュアルなものへの視線はちょっと厳しいときだったと思います。
そういったなかで「占いはなぜ当たるのか」という、大きなテーマに真っ向から書かれているのです。
当時、鏡さんは30代に入ったところ。星の王子さまのイメージでした。
改訂版でご本人は、この当時の筆の甘さにちょっと嘆いていらっしゃるご様子ですが、この軽やかさ、アツさも大事じゃないかと思います。
鏡さんは、今(2020年8月)もこの本を含め、新著、翻訳本もまだ毎月のようにだされています。
日本語で占星術の本を読めるという、アドバンテージを私はとても感謝しています。
なので、今はむしろ、王子さまどころではなく、「鏡リュウジ、スゲー」を実感しているのです。
また、この改訂版ではジェフリー・コーネリアス博士の講演録「占星術は占いか」と脚注を新録されています。
宮台真司さんの解説とともに、これも貴重。
コーネリアス博士の講演録でStargazerとdivinerについて触れられていました。
昔の占星術家は、星に神意を見て取っていたようです。
おこがましいのですが、というか、モノを知らずに、自分のハンドルネーム、ウェブサイトの名前をStargazerではなくdivinerにしたのは、そのあたりかもしれません。
「占いはなぜ当たるのか」という問いは、毎日、月の運行を見て、あるいは鑑定ブースでお客様、クライアントと向き合っていて、日々、感じることです。
でも、それに対しての答えはまだ、そしてたぶん、ずっとでてこないものかもしれません。
そう言っても、それへの問いをすることを止めてはいけないものだと思うのです。
そして、占いが「当たっている!」という時の気持ち。
自分やお客さま、クライアントの「当たっている!」」という言葉。
なんで、「当たっている!」の気持ちがうれしいんだろうか、と考えます。
だって、「あなた、こうゆう人ですよね」と言われて、「そうそう!」って当たり前じゃないですか。
自分の事なんだから。
でも、そこに自分という人間をこえた何かとの一体感を感じるんじゃないかなと思うのです。
私は講談社から文庫ででている「占いはなぜ当たるのですか」を持っています。
私は本が汚れる、本を汚すのは、本来イヤなのです。
なので、書き込みはしませんし、読んだあとかけると背表紙がキレイなので、読んでいる本はブックカバーをはずしています。
でも、この本はどうしても、というページの角をちょっと折っています。
読んだのはかなり昔なので、なんでここを?と思うところもあるのですが、今でも読み返すところもあります。
少し引用します。
それに対して、統計という手段は、再現可能なデータだけを扱う。個人の人生を、数字のデータのひとつの点へと還元、あるいは矮小化してしまう。
私は思います。
「統計的である」「科学的である」というのは、「良いこと」「正しいこと」でしょうか。
「占いは科学的じゃない」ので、「良くないこと、正しくないこと」でしょうか。
私は、理系の教育をうけましたし、統計やエビデンス(証拠)を仕事の根拠としている医療業界に育ちました。
医療業界では、つい数年前まで「常識」だったり「標準法」と言われた治療方法が、あっという間に古くなり、あるいは副作用がわかってきたりします。
その当時は「科学的」だったものが、あっという間に色あせていく事はよくあります。
そして、一方、なんだかわからないけれど千年の昔から使われてきた生薬が、いま、見直され治療に使われていることもあります。
これはまったく「科学的」な姿勢ではありません。
なので、数字や科学がそれほどエラいのかよ?と思うのです。
「科学的ではない」という言い方が、いかにも真理や真実から遠い、信用できないものとして使われるたびに、「科学がそんなにエラいのか」と思うのです。
確かに、いま、最善と思われる方法で治療が行われ、そこにはなんのだましも、ウソもないのですが、わかっていない事もおおいのです。
また、日本では規制する法律があまりないので、効果がないばかりでなく、弊害の多い治療法が堂々と新聞広告にのっていたり、SNSで流されてきたりします。
しかし、その実際には効果がないものも、それを使った人たちが、ハッキリ効果があったと言われることも、実は多いです。
もちろん、治療法のあまりない病気と向き合っている方にむけて、承認されていない治療法を無批判にとりあげるマスコミの態度や自由診療で行うクリニックにたいしては、強く批判したいと思います。
でも、科学的かそうでないか、はわりとあいまいで、「科学的であること」はそれほどエラくないし、逆に「科学的じゃない」と言われることも、あまり破壊力はないと思うのです。
そのうえで、占いが科学や統計であってはいけないとも思います。
鏡さんがおっしゃるように、ひとりの人生が数字に置き換わるものではないからです。
鏡さんの著作はこちらでも、おすすめしています
「あなたの願いをかなえる、星座案内」 と 「占星術夜話」 です。こちらの記事で。