師岡熊野神社の裏手にある山に登ります。
10分程度ですが、ハイヒールで散歩、という感じではありません。
新幹線が見えました。こちらに向かっているので、このあたりの下をトンネルで通っているのでしょうか。
掲示にもありましたが、縄文時代は、ここのあたりまで海だったそうです。
この先の綱島は、それこそ「島」だったんでしょうし、そして、綱島温泉は真っ黒。
つまり、ミネラル豊富な、というか、飲めない水、温泉が湧いています。
たぶん、海に近く、しかも、川のそばでありながら、飲める水が湧いているというのは、聖地だったのだと思います。
横浜市埋蔵文化センターのサイトには、このあたりの古墳と貝塚の分布図がありました。
埋文よこはま 29号(PDFです)
この低地は海だったんだな。
この「い」の池、本殿の裏にあった「の」池とあわせて、近くに「ち」の池があったそうです。
「ち」の池は、いまは埋められてしまったそうですが、あわせて「いのち」となります。
泉の湧く聖地であり、諏訪と熊野の信仰があり、明治以前はお寺もあって、大きな聖地だっただと思います。
大倉精神文化研究所 綱島と港北の歴史をたずねて
横浜市埋蔵文化センターの、またこの「埋文よこはま」のバックナンバーもおもしろいです。おすすめ。埋文よこはまバックナンバー