奥参道は、水こそありませんが、
禊をしながら歩いているのと同じだと思います。
古代には、ここがヤマトの勢力の最前線でした。
ここから東北には、別の勢力があって、
ヤマトから「東」を「征」服するための
神の力、ということになります。
この清浄な空気は、ヤマトの勢力の東征のための拠点としての
お社としての場所だけ、ではないと思います。
それは海からみえるランドマークであったとともに
その以前、征服された側の聖地だったのだと思います。
しかし、その戦いの歴史が生々しく残るのではなく
共に聖地を大切にする、という気持ちがあったのではないでしょうか。
しかも、この今も、この奥参道はきれいに掃き清められており
手入れをされ続けています。
手前の石碑は、「太々神楽(だいだいかぐら)」とあります。
こちらに伝わる里神楽らしいのですが、
太々神楽といえば伊勢神宮に奉納される神楽。
なぜ、この重要な場所に?と思いました。
うがった見方かもしれませんが、中央集権のヤマトに対して
褒め称え、服従のしるしとしての神楽、でしょうか。
すると、要石で押さえられているのは、
地震をおこす鯰(なまず)として象徴されている
東征された側、の勢力でしょうか。
それは、蝦夷(エゾ)といわれた
東北の勢力も含んでいるのかもしれません。
以前は、手をかざして「ビリビリ」を感じて、むしろ楽しんでいたのですが、
今は、この場の光を感じます。
この場だけ、森のなかで少し広場のようになっています。
地面の下に大きな石が埋まっている、という事なのですが
むしろ、上が気になる。
天から、というか、天にぬける柱です。