博多の繁華街にある神社です。
あまり広くない境内ですが、参拝の方が絶えません。
この神社は「博多祇園山笠」で有名。
絢爛豪華な飾り山笠が市内10数箇所に立ち並び、そのフィナーレ「追い山笠」は、勇壮なお祭りです。
鎌倉時代中期の臨済宗の僧である円爾(えんに)、聖一国師が1241年(仁治2)、疫病除去のために施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたことが、博多祇園山笠の始まりとされています。
また、聖一国師を招いて開山した承天寺もこの近くにあります。
聖一国師は、うどんやまんじゅう、静岡のお茶を広めた方というお働きもあります。
帰ってから調べたら「いつ」「りょうい」とあって、非常に畏れる神聖な力、という意味らしいです。
また楼門の天井にはこの干支恵方盤がありました。
大晦日に来年の恵方に向けて動かされるそうです。
2024年だったので、恵方は東からちょっと北より。東北東やや東を指しています。
境内にはお砂で清めるシステムもありました。
(どうしても参拝の方が入ってしまうので、写真はだせません)
砂で清めるというのは九州のこのあたりの神社にいくつかあるシステムでおもしろかったです。
博多祇園山笠のなかでも最初に海岸でお汐井(しおい)とりという神事があって、それをお清めの砂のように使うのです。
このお汐井とりは、この神社のすばの箱崎浜でされます。そのあと、陸側にある筥崎宮にお参りするそうです。
博多祇園山笠は節田神社のお祭りですけれど、筥崎宮も大事なお役があります。
左右に天狗さんがいます。この天狗さまがご祭神をお守りしているそうです。
博多祇園「山」笠、でもあり、この博多では山岳信仰がかつては多かったそうです。
そういえば、太宰府天満宮のあの場所も、山のパワーを受け止める場でした。
わかりやすい暖かい感じがします。
素戔鳴大神のお祭りが博多祇園山笠で、勇壮なお祭りなので厳しい神さまなのかな、と思ったら意外な感じでした。
思えばここはその昔、大陸に近い場所で、入ってくる病気から街を守るという事もあったと思うので、そんな懐の大きさところもあるのかもしれません。
祭神は大幡主大神(おおはたぬしのみこと)・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)・素戔鳴大神(すさのおのみこと)の三柱。
伊勢神宮の外宮の禰宜ねぎであった度会氏(わたらいし)の祖先神である大幡主命(おおはたぬしのみこと)をご詫宣により伊勢国の櫛田神社から勧請されたのが始まりだそうです。
本殿の前の霊泉鶴(れいせんつる)の井戸(動画です)
本殿地下からの湧水だそうですが、ちょっと鉄分が多いのかなと思いました。
この水を飲むことで不老長寿の御利益があるそうですが、保健所の指導でいまは飲用禁止とのこと。
このお宮は海の近くになるのですが、すこし塩分があるのかもしれません。
もともと、この近くには神宮寺もあって、このあたりは寺町だったらしいです。
それが明治の神仏分離、廃仏毀釈で仏教色が薄くなってしまって、神宮寺も移転しているようです。
疫病退散を願い、あるいは、家内安全を祈る気持ちは、その対象が神さまでも、仏さまでも私たちにとっては変らないところもあります。
なにか大きな力に向かって、手を合わせて祈る、という行為の先にあるのは、神さまでも仏さまでも変らないと思うのです。
そうした祈りの気持ちが、お祭りの無事を祈るお汐井とりや神事に残っており、それがあるからこそのお祭りが続いているんだと思うのです。
櫛田神社の神宮寺について → http://sasaguri-henjoin.com/history.html
承天寺について → https://www.city.fukuoka.lg.jp/hakataku/t-shinko/luw/jotenji.html
櫛田神社 (博多祇園山笠公式サイト) https://www.hakatayamakasa.com/61866.html