香椎宮(かしいぐう)と称されます。
神社、ではありません。
公式サイトのご由緒を読むと「香椎宮は仲哀天皇九年(200)、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源であります」とあります。
つまり、御廟、お墓。
そのために、天皇陛下の勅使がこちらを参拝されるのも当然で、延喜式には別に御廟として記載されています。
今もまっすぐな勅使道があります。
参道の木が博多バイパスに頭がぶつかっていて、ちょっと可愛そう。
この並木の楠は、当然ながら近年になって整備されたもので、大正15年の苗木運動によって整備されたそうです。明治神宮もそうだけど、100年先を考えた先人の知恵を尊敬いたします。
この先の香椎浜の御島に御島神社がありますが、これは一の鳥居。
その前にはしょうぶ池があり、弁財天さまがいらっしゃいます。
先に本殿にご挨拶してから、こちらにもどることに致します。
主祭神は仲哀天皇と神功皇后。
また、そのお子神である応神天皇と、海の神さまである住吉大神がご配祀されています。
福岡にはその立地ゆえに、神功皇后(気長足姫尊)の足跡をたどるお参りになることが多いのですが、このしっとりとした雰囲気は、伝えうかがっている勇ましさとは違ったところを感じます。
このお宮の造りは「香椎造」と言われていて、ここにしかないそうです。
「入母屋造平入に切妻屋根が複雑に連結し、正面の大千鳥破風、左右の車寄せなど、変化に富んだ造り」と公式サイトにありました。 ( → 香椎宮 https://kashiigu.com/keidai-annai/ )
あれ、車寄せなんだ、へー。
もともと、神の怒りに触れ亡くなってしまわれた仲哀天皇のご廟(お墓)として始まったこともあるのですが、菊のご紋が神威を示し、畏れ多いことだと思います。
今回はお参りしたかったのですが、この先に古宮のあとがあります。
仲哀天皇が国家鎮護の拠点とした橿日宮の跡地だそうです。
また、上の案内図にある御飯の山は、神宮皇后が仲哀天皇の亡骸を納める御棺の木として、御飯の山(おいのやま)の大槇木(おおまきのき)で作らせたと言い伝えられています。
その御棺を橿日宮内の「椎の木」に掛けたところ、香ばしい香りが、あたり一面に漂ったそうです。この椎の木が香椎の名の由来の「香椎」となったそうです。
歴史として読むと、仲哀天皇は31歳で立太子となった経緯もあり実在が疑われているのですが、神話と歴史の間、というところです。
しかし、この地に大きな力をもった支配者がいたことは事実でしょうし、畏れ多い神さまなのだと思います。
香椎宮(かしいぐう) https://kashiigu.com/