どこかで聞いた言葉なのですが、
仏教は大きな山のようなものなので、頂上はひとつでも、いろんな登山道がある。
そのどの道を選んでもいい、と。
もしかしたら、釈徹宗さんの言葉だったかもしれません。
そしてそれは、仏教に限らないのかもしれません。
「なりきる すてる ととのえる」を読むと、
仏教自体が、すでに仏教を否定していて
さらに、否定することさえ、結論づけていないように思います。
・・・わかりにくいですね。
お釈迦様は、「私の教えは苦悩の川を渡る筏(いかだ)だ。
それを使って、川を渡った後は、捨てていきなさい」とおっしゃっています。
この「なりきる すてる ととのえる」は
維摩経(ゆいまきょう)というお経の解説書。
維摩経とは、維摩さんというお坊さんじゃないけど
仏教の達人の病気のお見舞いに、仏さまたちが、うかがうという話です。
でも、たんに仏教の達人、というだけではありません。
お釈迦さまが「維摩さんのところに、お見舞いにいってください」と
菩薩さまや神さまに頼んでも、
「言い負かされるのでイヤです」と言われるような方なのです。
結局、知恵のある文殊菩薩(もんじゅぼさつ)がうかがうことになります。
そして、その問答をみんなで聞いて、善哉(ぜんざい)の場面で終了。
善哉、というのは、ハレルヤ!
・・・は、キリスト教だけど、ソレみたいな。
バンザイ!とか、めでたし、めでたしとか。
そして、俗世のまま、日々の生活を生きていく事こそ、
あるいは、今を大切にする事こそ、修行なのだなあ、と思いました。
そんな維摩さんって、
知り合いのおっちゃんならおもしろいなあ、と思うけれど
家族にいたら、面倒だなあ、と感じる方ですねえ。
でも、般若心経ならともかく、
維摩経って、ナンなんだろ?難しいそう、という方。
釈徹宗さんの著作のなかで「仏教ではこう考える」は、楽しいです。
僧侶が答える「子供電話相談室」です。
…でも、実は深いのですよ。
質問を、少しご紹介。
10才の子から「食べ物を粗末にするとバチがあたるの?」
おばあちゃんを亡くしたご家族「うちのおばあちゃん、どこへいったんでしょうか?」
30代女性から「生まれ変わっても、また逢おうねというセリフを聞きますが、そんな事は可能ですか?」
友人から「娘が霊媒体質で、すぐに霊がとりついて・・・」
なんでもアリの、すごい質問。
それに対する答えは、本書で。
お代は見てのお帰り、では、ございませんが。
「仏教ではこう考えます」
再文庫化にともなって、あとがきが追加され、タイトルも丁寧(笑)になりました。
(この写真は、東京のJR四ッ谷駅の近くの交差点だそうです。
遠くにカメラがあって、このポーズをしてたら、
おりしもの雨にトラックが止まって傘を差し出されたと)