相変わらず、前のめりの感想文です。
ネタバレがあるので、未読の方はご注意ください。
嵯峨天皇から空海は、雨乞い対決を仕掛けられます。
それは、嵯峨天皇は空海の密教が人心を引きつけることを政治利用したいと思っているからなのです。
密教、空海をもつ天皇であれば、人心を把握できるからです。
それは空海も承知しておいて、「仏教とはなんだろう」と思うのですが、雨乞い対決に勝ったので、どこかで寺をもたないか?という嵯峨天皇からのご褒美に、高野山を手に入れるのです。
これでこの国に仏教を根付かせることができるのです。
一方の最澄は、旅の途中です。
その途中で死にかけた男を救います。
この男は、以前、最澄のいる比叡山やその里で人を殺して、盗んでいた男です。(第二巻に登場。村人につまかったらしいが、死んだとはなかった)
その時に欲しいものを手にいれるために、不要な人は殺し、盗んでいた男です。
「人の心のなかにある欲望に忠実で、おくりたい生活をする、何が悪いのだろうか」とその男が最澄に語りかけます。
そういった男は、死んだ人間を家族と幻想し、自身も死にかけている。
それは因果応報なのだが、最澄は「それでも、(あなたを)救います」と話しかけます。
思えば、第二巻でこの男の「何が悪いのだ?」といいながら人を殺した男の問いの前に、命を救えなかった最澄はもっていた経典を焼いてしまいます。
第二巻では自分の無力を感じていた最澄ですが、ここでは違います。
最澄は、「それでも、救います」と、死にゆく男に語りかけるのです。
物語、哲学、根拠、背景、よってたつものがあって人は生きていきます。
宗教と書いてもいい。占星術の9ハウス3ハウスの軸。
「欲のままに生きる」というのも物語のひとつ。道徳という優等生の物語もそのひとつ。
さらにそういった様々な物語を否定したうえで、救っていくのが仏教であると、いうのが「それでも、救います」だと思うのです。
ブッダが教えたとする「筏の教え」があります。
「苦悩の川を渡るのが仏教という筏(いかだ)だとしたら、その筏で渡ったら、その筏は捨てていけ」というものです。
仏教は仏教自身を否定して、構造を再構築していく教え、宗教です。
なので、一見して矛盾しているところも多くあると思います。
東北では、最澄は徳一にあいます。(徳一は第五巻に登場しています)
このとき徳一は、むしろ国家をしょっている権力側。
最澄、空海は新興勢力です。
徳一は、阿弖流為(あてるい)と坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の戦争で荒れた村に、貴族の資金をバックに村を再建して、同時に彼の法相宗を広めています。
村は救われて、徳一は徳一菩薩と呼ばれています。
徳一は、都から大工と連れてきて、実際に家を建て土地を「楽土」にしています。
徳一は、実施にこの村を救っているのです。
この物語ではちょっと「悪い」ように書かれている徳一ですが、関東、東北では徳一菩薩として信仰されています。
しかし、その徳一の村では「正しさ」はどちらでもよく、「争いがないこと」「同じこと」が大事で、徳一の言うことを聞いていると「シアワセ」なのです。
成仏できなくても、光さえ徳一菩薩さえあれば、いいのです。
そして徳一の考えでは、仏性のないものは、成仏できないという考えです。
当然、最澄の「すべてのものを救う」という考えと対立します。
そして、この論争は最澄の死期を早めたといわれるほどのエネルギーを使います。
最澄は徳一をその名前では呼ばず「麁食者そじきもの(粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」と呼ぶほどです。
空海は最澄が徳一と対決するのは、止めてほしいと考えています。
徳一は藤原氏の圧倒的な資金力を使って、この世にみえる楽土を築いています。
「なんのための仏教か」といいながら、嵯峨天皇から高野山を承った空海からみたら、圧倒的な権力者の嵯峨天皇と、藤原氏という貴族のバックがある徳一は、真正面から対峙する相手ではないのです。
そして、空海は最澄を救いたいのです。
「もう、どれだけ最澄好きなんだ?」と思うくらいラブ最澄の空海は、徳一との論争にエネルギーを使うのを心配しています。
(もっとオレのそばにいてほしい、オレを見て欲しいと。どんだけ好きなんだ)
この巻では、曼荼羅の見方もちょっと解説がはいっています。
ところで、最澄の説いた「竜女がそのまま身のまま刹那に成仏するのは、法華経の功徳です。たとえ、女性であってもです」
ですが、女性の成仏はずっと時代を待たないとなりません。
いろいろなお考えがあるかと思いますが、私は親鸞が女人成仏をとく鎌倉時代になるまで、「女は成仏できない」と考えられていたと思います。
また、おかざきさんは、本当に子どもを愛らしく描かれるのです。
その子たちが、あっさり殺されていくというのは、この日本でもそれほど遠い過去にあったことではないです。
そして、最澄に草履を編んで差し出した「汚ねぇジジイが編んだもので、都の人には笑われるかもしれねぇけど」という村人は、
人を殺して、盗んでいた男と同じ笑顔なのです。
愛らしく怖く、力強い。
前のめりの感想文をずっと書いております。