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橿原神宮 (ひたちなか市)

ひたちなかの港からすぐのところ。
201604147

ちょっとした山の上にあります。地名が「富士ノ上」というところなので、
古墳か、富士山信仰に関連した場所なのかな?と思っていました。

このお社は、別の場所にあって、こちらに遷座されたとのことです。
もともとは、この地には、浅間権現がいらしたとのことで、その地名が残っているようです。
神仏習合の権現信仰が、この地にあった事を示しています。

でも、今は、浅間権現のなごりは、わかりませんでした。
本殿の近くには、いくつか小さな祠がありましたが、
富士山あるいは、浅間神社、浅間権現にあたる摂末社であると
表記されておらず、ご挨拶したときも、わかりませんでした。

ご祭神は、神武天皇。奈良の橿原神宮と同じです。
また、桓武天皇、崇道天皇も合祀されて三柱、いらっしゃいます。

ご挨拶します。
201604148

奈良の橿原神宮の感じと比べると、ちょっと違うような感じです。
神武天皇も、各地で戦いをされているのですが、
ここは、神武天皇とは違う、武士というか、争いの感じがします。

奈良の橿原神宮は、明治になって創建されたものです。
一方、ご由緒書によると、こちらの創建の方が古い。
だから、橿原神宮とは感じが違うのは、当然かもしれません。
そのせいか、厄除けの神という御利益が紹介されていました。

いただいたご由緒書によると、こちらは橘諸兄(たちばなのもろえ)が
神武天皇のお社を創建し、その後、桓武天皇をお迎えした、という記述や、
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が、蝦夷征伐、東征の戦勝のお礼に、
ご社殿を再建した、という記述も紹介されています。

橘諸兄は密告によって、政治から失脚し亡くなった方。
坂上田村麻呂は、この東北、蝦夷に向かう最前線としての常陸という国に足跡を残すべき方。
崇道天皇は、皇位継承の争いに敗れて、恨みを残して亡くなった方。

それならわかる。

当時の政治に関わる人として、和歌を詠めるのが当然とはいえ、
万葉集の撰者ともいわれる方で、恨みも残して失脚した橘諸兄と、
桓武天皇とも関係があり、武士としての面もあるけど、
多くの裏切りを見てきた坂上田村麻呂。
崇道天皇は、桓武天皇の弟で早良親王という方。絶食して亡くなっています。

あるいは、その縁者の思い、であるなら、わかるような気がします。

201604149

いまは、港を守る丘のうえで、静かにいらっしゃるようです。

橿原神社 茨城神社庁のページ


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*この記事を書いた人について
 辰巳(たつみ)
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