大神神社(おおみわじんじゃ)とお呼びします。公式サイトでは、大神明神とも併記されています。
冗談のように、大きいです。熊野本宮の大斎原(おおゆのはら)の鳥居を思い出します。(と、どうしても書いておくように、と言われました)
2013年の熊野本宮の大斎原の鳥居です。
一番、最初に大神神社に参拝したのは10年以上前。
その後も何回も来ていますが、参拝回数を重ねるにつれ、あるいは、他のいろいろな社寺を知るようになってから、さらに、この神社のすごさを改めて感じるようになりました。
最初の参拝の帰り道。
信号待ちでとまったその先から、土砂ぶりになっているのがわかる、今でいうゲリラ豪雨、その当時は、夕立という雨にあいました。
京都の地下街が水びたしになって、落雷で電車が止まった記憶があるくらいの雨でした。
この写真のキノコのような雲の真ん中だけ、大雨が降っています。2006年の夏。
怖くて笑っちゃうくらいの雨でした。
その大雨のなか、車で移動していたのですが、帽子のおじいちゃんが、自転車を押して地面を見ながらあぜ道をあるいてきました。
今おもうと、夢だったのかもしれないとおもうくらい美しいのような場面でした。ご本人はそんな悠長な気持ちじゃなかったかもしれないけれど、悠々と雨をうけておられたように見えたのです。
そして、お祓いの雨だなあ、と思いつつ、当時(も)、何かをつかもうとして、もがいていた苦しい気持ちが救われた気がしました。
今思えば、かわいいなと思うところです。
また、呼んでいただき、ありがとうございました。というか、ただいま。
本殿がなく、ご神体は三輪山です。というか、山のコアなんだな、と今回、思いましたが、その黒さ、深さ、怖さ、大きさがよくわかる扁額です。
最近、こういった「杖をどうぞ」テキなものがあると、これはちょっと歩くぞ、といサインなのだと思うようになりました。拝殿までは、それほどの急な道ではないのですが、距離はそこそこあるので、足に自信がない方は、どうぞお気持ちをいただいてください。
歩くことで、祓われていく事を感じます。
参拝者はかなり増えてきているように感じますが、決してゆるがない聖地です。
参道、は産道。
ここを通って、原始(げんしょ)にもどり、そして、現世(げんせ)にもどっていくのです。
これもこの場を清浄にたもっている理由。以前、来たときには蛇がこのあたりにいて、参拝者が集まっていました。
蛇は、この神社の神使。卵をお供えする方も多いです。
向かって左側のお社のない空間は、なんだろうか。
伊勢神宮だと、次にご遷宮するための新しいお社のための空間なのかな、と思うけど、清浄な場ではあるけど、そうでもない感じ。わかりません。
拝殿に伺う前に、こちらに伺ってお祓いします。
神社というところは、なによりも穢れ(けがれ)を排します。
ここのご祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)。
大祓詞(おおはらえのことば)という、神社の祝詞(のりと)に(だけ)でてくる女神様。
どこの神社でも、この大祓詞は、詠まれているし、大きな神社には必ず祓戸社があり、ご祭神としておられるのに、古事記、日本書記には、ほとんどでてこない不思議な神さま。
そして、この大神神社のご祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)も、同じように奈良にあり、これだけのパワースポットでありながら、そのヤマトの神話には、ほとんど登場しない神さま。
古事記も日本書紀も、当時の体制側からみた神話のストーリー。
それにのって考える場所ではないのです。
大神明神 大神神社 公式サイト