「ソウルメイトに出逢わない」「運命の人は、いるんだろうか」
と感じることが、あります。
ソウルメイト、運命の人、前前前世から探してくれてるはずの人。
って、たいがいが、もうすでに、今世であっています。
そして、たいがいが、家族。
濃い関係だから、その相手は、前前前世、来世も含めると、家族は1度は経験する関係です。
恋愛対象になることも、ある、という程度。
前世では、弟だった人物が、今世では彼。
という事は、あります。
前世では、母だった人物は、今世では彼女。
という事も、あります。
で、そういった場合、当然、恋におちるのですが、それがハッピーな恋愛とは限らないのです。
前世で、弟だった人物は、姉に殺されて、前世を去ったのかもしれません。
すると、今世では、彼に巻き込まれて、地獄の底を這うような恋愛をすることもあります。
でも、私は、その地獄の底をはうような恋愛は、つらいけれど、「悪い」とは思えません。
これをカルマと呼ぶこともあるかもしれませんが、私は、単に経験のひとつ、と感じています。
どんなにつらい恋愛でも、魂の底では、必要で、経験したかった事のはず。
ただ、そんな地獄の底をはうような恋愛は、いつまでも続けるものではないと思います。
それを経験したら、さっさと立ち上がる必要はあります。
そうしないと、来世では、彼がけっこう大変なメにあいそうだし、しかも、その原因を自分がつくってしまいそうだから。
それに、ソウルメイトでなくては、恋をしてはいけない、のでもないのです。
恋愛は、いくつしてもいいんだし。
いろんな相手といろんな関係を、経験して。
(まあ、同時進行は、なかなか難しいし、問題もありそうだけど)
だって、ソウルメイトには、すでに家族という形で、であっているんだから。
前世では、母だった人物は、今世では彼女の場合、あまえる彼を、世話をする彼女という関係になりそう。
彼女は、「私だって、ちょっとは甘えたい」「前前前世から探していたような、ソウルメイトとは思えない」かもしれないけど、それでいいと思うのです。
ソウルメイトだとわからなくても、それはそれで必要な経験。
「ソウルメイトに出逢いたい」というのは、「ハッピーな恋愛がしたい」という事ではないでしょうか。
それに、今生に生まれた限りは、必要な経験だとしても、地獄の底を這うような恋愛ではなく、ハッピーな恋愛をした方がいいに決まっています。
ハッピーな恋愛をしたいなら、まずは、自分の心と体をピカピカにして、波動を高くしましょう。
意識高い系ではないです。ハッピー系。
「ありの~ままで~」いたいなら、山奥の氷のお城に引っ込んでいるしかないのです。
そして、ソウルメイトに出会いにいこう。
ソウルメイトは、探さない。出会うのです。
出会った相手が、ソウルメイトだった、というだけです。
それは、直感でわかるはず。「この人がソウルメイトだろうか」と思ったら、それはすでに違います。
また、ソウルメイトとの出会いは、1度だけではありません。
ソウルメイトは、出会うべきして逢うのです。1度、すれ違っていっても、また、別のところで、出逢います。
出逢うべき人には、出逢うしかないのです。
「ソウルメイトだと思って、つきあいました」は、まったく違います。
アタマで判断するモンではないのです。
つきあって、ああ、この人だ、と感じることは、あります。
そして、何人にそう感じても、全く問題はないです。
恋愛は、落ちるものです。自分の意思は働かない。
でも、愛は違うと思います。愛は、自分から愛するもの。
まずは、自分をピカピカのハッピーにして、氷のお城からでて、ソウルメイトに出会いに行こう。