大きな石で社号も書いてあるのですが、なんとなく一宮っぽく「ない」
あまり広くないせいかな、と思ったのですが、一宮という「お上」の決めた格付けというより、地元の神社という印象が強いからなのだと思います。
夏越しの祓の前だったので、茅の輪がありました。
茅の輪って、8の字にくぐると思っていました。
(箱根神社のサイトから転載)
このセッティングだと、茅の輪を8の字にまわることができないけれど、(あるいは、随神も含めて大きく廻るのかな?)オートマティックに参拝者が祓われるという事でしょうか。
浅間神社なので、富士山を拝する、あるいはその神さまをご祭神とするはずですし、拝殿の前には、富士山の写真まで掲げられているのですが、なんかあまり富士山っぽくないのです。
第一宮、とあるけど、一宮っぽくない。
浅間神社とあるけど、浅間神社っぽくない。不思議。
帰ってから方角をみたら、この神社自体、富士山向きに建てられていない事がわかりました。
方角としては、鳥居から拝殿にいたる参道の方角に富士山があるので、まあ、神社自体としては富士山向きですよ、というカッコをとっていますが、拝殿が横を向いています。
この山宮の「山」も、本来の浅間神社だったら富士山のはずですが、違います。
この浅間神社は里宮で、もともと近くの神山に山宮があるそうです。その神山と麓にある山宮を遠くから拝する場所のようです。
陰・陽の大きさがバランスがとれてないのは、ご愛嬌。
これって富士山信仰より古いんじゃないのかな。
つまり、もともと聖地であった山宮、あるいは、その後にできたこの里宮である浅間神社に、富士山の信仰をもってきた、という事かと思います。
公式サイトにも書いてありました。なあんだ、そうだったんだ。
この山梨は縄文の遺跡も多く見つかっています。
住みにくい土地ではなかったのですが、最初は、この甲府は盆地ではなく、頻繁に氾濫する川が合流する場所であったのだと思います。
なので、最初は山側に人が住んでいて、そこにあったのがこちらの山宮ではないでしょうか。
そのあと、開発がすすんで盆地にも人が住むようになって里宮も必要となったのかもしれません。
富士山と結びつくのは、貞観(864年から)の富士山大噴火。
その噴火を鎮めるためにこちらに、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をお遷ししてお祀りしたという事かと思います。
もともとの山宮からのパワーがつながっている一宮です。