大井俣窪八幡神社 (おおいまたくぼはちまんじんじゃ)が正式名称。
「西の武田八幡、東の窪八幡」とされた由緒のあるお宮です。
紋に武田の、武田菱(だけだびし)と花菱の紋が見えます。
この武田の家紋は、今も甲府のマーク(市章)の原形となっているそうです。
こういうシチュエーションだと、弁天さまかな?と思います。
比咩三神本殿、とあります。
田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の三神だそうです。宗像三女神で、弁天さまです。
本殿に参拝したあと、ご挨拶しました。
もともと、日本の神社の多くがそうだったように、ここも神仏集合の時代が長かったのだと思います。
拝殿。なのかな。
横に長くて、吹き抜けになっています。吹き抜けのなかは、こんな感じ。
吹き抜けになっていますが、勝手には入れません。
諏訪大社の前宮の十間廊と似ています。こちらの記事で。
八幡さまって、どの所によってホントにいろいろなんだなあ、と思います。
武田に代表される戦国武将に崇敬された神さま、戦勝祈願の神社、あるいは当時はお寺だったかと思うのですが、さらに古くはもっと別のパワーがあったのではないかなと思います。
もっと自然に近いもの。
もともと、笛吹川の中州に鎮座されていたとのこと。
甲府は、盆地で急峻な山に囲まれており、古くから洪水の被害が多くあった土地です。
そのために、川に鎮座いただいたのかもしれません。
また、甲府の治水、といえば信玄堤を思い出します。
いまも、市章としてこの地の象徴となっている武田も治水事業を行ったのです。
「若い」神さまは、むしろ荒々しくパワフル。
本殿の屋根をみるとこのマーク。神紋、あるいは社紋でしょうか。
法輪かなあ?仏教?
神社には時々、ご社殿や境内のまわりにこうした水路がある事も多いのですが、もともと笛吹川の中州にいらした、というイメージが重なります。
そのうしろには、小さな祠がいくつも並んでいます。
それぞれ、山に関するお名前がついた神社となっていますが、やや、朽ちかけている部分もあります。
中学生が学校の帰りでしょうか、本殿の後ろを歩いていきます。
仏教のお経を納めた塔です。
この周囲には、お寺も多くあったそうです。
とすると、この本殿のうしろ側の小さな祠のある広場にも、もしかしたらお寺があって、この祠は仏さまがいらしたのかもしれない、と思っていました。
神仏分離、廃仏毀釈の苛烈な時代に、有形無形のどれだけのものが失われているのか、と時々、思います。
拝殿から別の瑞垣(みずがき)に高良神社。八幡さまにおられる高良神社は、武内宿禰(たけうちのすくね)がご祭神でしょうか。
諸説あるそうですが、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)と同一とされています。
八幡さまにお仕えする神さまなので、八幡さまには摂社として見ることが多いです。
拝殿とは別の瑞垣にあります。
多くの有形、無形のものを失ったとしても、こうして神社に残っているものもあるのだな。
甲府市の市章について「武田氏の家紋」甲府市のページ