甲斐奈神社、という神社は、このあたりには4社あります。
そのうちの、総社とされている神社のひとつ。
甲斐の一宮の浅間神社も近くにあり、国分寺・国分尼寺跡が残り、甲斐国の中心だったと思われます。
時間のたった拝殿や随神門ですが、境内は掃き清められています。
甲府では、武田氏はどこの神社とも関係しているんじゃないか、と思うくらい武田菱をみます。
実際、そうだったのだと思います。
また、この神社については、この地域の神さまをお集めした総社なので、この地域を代表する武田氏の紋があるのかもしれません。
一方、この地域の総社については、別の神社も総社とされているそうです。
どっちが正しい、というより、私は、両方そうだったんじゃないかな、と思います。
時期によって違っていたり、あるは、多少、色というか方向性が違っていて両方、機能していたのかも。
別称を「神祖明神」(かむろぎみょうじんと読むそうですが、未確認)「林部宮(へえしべのみや)」「橋立明神(はしたてみょうじん)」とも称されます。
ご挨拶します。
水道のついた流しも見えるような生活感のある授与所には、電気がついています。
すぐ隣の畑にいます、という感じです。
小窓にはケータイの番号が表示されていて、用事があればこの番号まで、とありました。
境内の表示です。甲斐奈神社(かいなじんじゃ) 神祖宮(しんそぐう) とあります。
神さま4柱ですけれど、イマイチ、実感がありません。
国常立尊(くにのとこたちのみこと)や造化三神は、あまりに遠くて実感がわかない。
扁額に「明神」とあり、別称にもあるので、明治の神仏分離以前の長い時間では、国常立尊ではなく、別の神さま、明神さま、と言われる神さま、またはもっと仏教に近い信仰だったのかもしれません。
灯りのついた授与所のように、明治の神仏分離からの150年は、長い神さまたちの時間からしたら、「ちょっと、留守にしていますけど」くらいの長さなのかもしれません。