平成最後の秋分に、お墓参りに行ってきました。
最寄り駅は、JRと京王の高尾駅。JR中央線は人工のレイラインのひとつだ思います。
東京の霊山である高尾山と都心を結ぶ地点に、この御陵(ごりょう みささぎ)はあります。
申し訳ないのですが、この田舎に電線がひとつもなく、すっきりとしたイチョウの街路樹が並んでいるのは、珍しいと思います。
青山の絵画館前(聖徳記念絵画館です。 公式サイト )のイチョウ並木を連想させるものです。
これはもちろん、御陵にむかう道だから。
昭和天皇の御葬列がお通りになった道だから。
参道の前です。
伊勢神宮っぽい。このあたりで、すでに八王子であることや、東京にいることが信じられない静謐な空気です。
入口から御陵まで500メートルくらいあるので、参入は閉門の30分前まで。
手水のうしろには池があります。もちろん、実際にはできませんが、禊ぎの池のように感じました。
北山杉が植栽されているそうです。ゆっくりとカーブをしていて、不思議な感覚を持ちます。
時空を超えていくトンネルのような杉並木です。
最初は大正天皇の多摩陵(たまのみささぎ)
こちらの武蔵陵には4陵があり、すべて上円下方です。明治天皇の伏見桃山陵をお手本にしているそうで、この多摩陵が一番、大きな陵です。
武蔵野陵もそうですが、警察官が常に警護しています。
静謐というより、緊張感があります。
鳥居をくぐって、階段の前までくると全体が見えなくなる大きさです。
ご挨拶します。
天が近い。宮島の弥山の山頂や、三輪山の山頂のようです。
頭をたれ手をあわせて、眼を閉じて祝詞を奏上すると、キラキラとしたモノがありました。
大正天皇は、歴史上の人物となってしまう方なので、よく存じ上げません。
しかし、りっぱな御陵におられる、りっぱな方、というより、紅葉(もみじ)や松などが植栽されて、生前にお好きだった木に囲まれて、楽しそうにおられるようでした。
そして、大正という時代の空気は、やはりこの方が持っておられたところが大きいように感じました。
写真には写っていませんが、陵にむかって左に建設重機が見えました。
以前はなかったものです。
今上陛下の陵をこのあたりで、という計画を以前、聞いたことがあります。
「極力国民生活への影響の少ないものとすることが望ましい」というのが、両陛下のご意向とのことです。
大正天皇陛下におかれましては、少し落ち着かないかもしれませんが、工事はゆっくりすすめていただき、今上陛下は、退位されたあと、しばらくは今生でお遊びいただき、こちらの陵にこられるのは、遠い先になること、とお祈り申し上げます。
隣は、貞明皇后の多摩東陵(たまのひがしみささぎ)
ご挨拶します。
大正天皇より低く作られていて、菊のご紋も見えます。
陵の石も白く、華やかな雰囲気があり、花の咲く木に囲まれておられます。
大正天皇より、さらに「知らない人」なのですが、この方、むしろ昭和の香淳皇后よりモダンな感じの方だったのではないでしょうか。しっかりとした現代的な感覚もある方のように感じます。
皇太后となられたあと、戦後の日本をどう感じていらしたのか、と思いました。
このふたつの陵の位置はこんな感じ。
玉垣の高さと色が違いますが、隣り合っておられます。
昭和天皇の武蔵野陵(むさしのみささぎ)
ご挨拶します。
手水をして鳥居をくぐっているので、一応、神社なのかな、と思いますし、実際に柏手を打つ方もいるのですが、私は、柏手は打たずに、祝詞を奏上しました。
特に、昭和天皇陛下は生きていらしたことを存じ上げているので、古墳、神社というより、お墓の印象が強いのです。
ここも天が近いし、後ろの木々が深い山のような遠さを感じます。
実際にはすぐうしろには道路があるのにね。
天皇陛下といったら、昭和生まれの私にとってはこの方。
低い松が植えらていて、皇居前広場のようです。大正天皇と違って陵が近く、「人間宣言」をされ、国民のそばにあろうとされた陛下を思います。
昭和の最後の8月15日の終戦記念日に那須の御用邸からヘリコプターに乗り込まれ、武道館の全国戦没者追悼式のお姿が、テレビを通して、たぶん、最後に見た陛下だっだと思います。
平成が終わろうとされている事、憲法を改正しようとしている事を申し上げます。
なんだか涙がでてきます。お見守りください。
目を上げると黄色の蝶々が、舞っておりました。
この文字も筆でかいたように、最初に引いた線の上に次の線が彫られています。
隣には、香淳皇后の武蔵野東陵(むさしのひがしのみささぎ)
ご挨拶します。
陵の石が白く、背のひくい木々が植栽されていて、かわいらしい陵です。
平成の女性たちの生き方は、いかがご覧になっていらしゃいましたか?
続く彼女たちの道が、穏やかで楽しいものになりますように。
そして、私の平成も、次に続いて参ります。お見守りください。
ニコニコと笑って送り出していただいた気がしました。
この暗い参道から、ぱっと明るい陵の前にでてくる、という転換も鮮やかな印象をもつ理由のひとつなのだと思います。
駐車場にとめた車にも蝶々がとまっていました。
この次、こちらに来ることがあるでしょうか。その時は、もう平成ではないのです。
事務所で、いただいたパンフレットから。
こちらの四つの陵はこんな感じで、並んでおられます。
こちらも、いただいたパンフレットから。最寄りの高尾駅からの地図。
平成が終わっていきます。
次の御世も、日本と世界の人にとって、平和で幸せな御世になりますように。