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ボヘミアン・ラプソディー

<以下、多少のネタばれを含みます>

当初のクイーンは私にとって、「ロック?っつーかなんつうーか」という感じで、それほどファンじゃなかったのです、実は。

そして、さらに映画を見る前に、私の脳内で響いていたのは、フレディの声で「ア~イム・バ~ック!!」(ただいま~!!)でした。
それは、クイーンというより、こちらの「新宿二丁目のほがらかな人々」というほぼ日の記事で、上書きされてしまっていたから。
詳しくはこのリンク先を読んでいただくとして、ゲイの町の新宿二丁目にフレディが度々、遊びにきていて、その時に「ア~イム・バ~ック!!」と叫んでいたという話です。
このサイトをディスるワケではありませんが(といいつつ結局、ディスるのですが)、あまりにもこのほがらかシリーズがおもしろくて、フレディのイメージが上書きされてしまったのです。

でも、オープニングのライブエイドの場面から、泣きそうになりました。
あの、ライヴエイドだ。
ライヴエイドは、世界規模で中継されたチャリティーのコンサートです。

フレディは帰ってきた。

ライヴエイドはこのボヘミアン・ラプソディーから始まります。
Mama,just killed a man,
Put a gun against his head,
Pulled my trigger,now hes dead,(Bohemian Rhapsody)

リアルタイムで聞いていた当時は、今より海外の音楽の情報が入ってきませんでした。
自分から取りに行かないといけなかった。だから、むしろ、飢えていたとも言えます。
そのなかでもベストヒットUSAより、ピーターバラカン派の私は、ロックと言ったらイギリス。ブリティッシュロック。
でも、「ベストヒットUSAより」なんて言うというのは、つまり結局、両方見ているわけです。
そして、いまでも耳にのこっているのは、結局、「ロック?っつーかなんつうーか」のクイーンだったりします。

この「ボヘミアン・ラプソディー」の歌詞を読むと、「ロック?っつーかなんつうーか」のフレディが歌っているのは、ボヘミアン、放浪者、部外者。フレディ自身も、ボヘミアン、部外者なのです。
そのあたりから、クイーンをよく聞くようになったのだと思います。

フレディは、ソロアスター教の両親のもとでイギリス領のザンジバルに生まれています。
その後、ボンベイの寄宿舎で教育をうけてイギリスに移住しています。彼がボヘミアン、放浪者であることがわかります。
また、こういった生い立ちは、当時の(今も)イギリスの階級社会では居場所はなかったでしょうし、バイセクシャル、あるいはゲイであることも大きな原因だったと思うのです。

反抗のロック、あるいは、社会に対抗するロックは、自分の立場が良くも悪くもわかっている場所からの発信でした。「成り上がり」がロックだったのです。
一方、フレディは、成り上がったところで、自分の居場所はどこにもないとわかっていくのです。
セレブリティ、となっても、部外者であり、マイノリティだったと、歌っているのです。

それって、でも、私も、私たち全員、そう感じているんじゃないの?
いつからか、この社会はみんなと同じ、が唯一の基準になってきたようです。
みんながいいと思うものが、良いもの。
みんなと一緒になりたい、一緒になれないのは疎外される。
我が国が第一。(あれ?どこかの大統領の言葉?)
そんな基準になってきてしまった時代にいます。

その基準から外れたものを「マイノリティ」と呼んでいますが、自分もそうじゃないの?
みんなと全部一緒、という自分はいるはずはありません。
そして、それはマイノリティではなく、自分のキャラクター、個性、インディヴィデュアルなところ。
むしろ、強み。

私は、自分のマイノリティを隠す必要も、だからカミングアウトする必要もなく、個性、強みとして自然といるだけでいいはず。

フレディも、そこに気がついていたと、今は、思いたいのです。

Buddy you’re a boy make a big noise
Buddy you’re a young man hard man
Buddy you’re an old man poor man
少年も、青年も老人もすべて、社会に居場所のない私と同じ。

We Will Rock You

村上龍さんがエッセイで(たぶん、「すべての男は消耗品である」シリーズのどこか)
「よいワインは、日数がたつにつれてその良さを思い出していく」テキな事を言っていて、正しいと思っていました。
上質のサービスや、ホンモノの品は、なんてことがないのです。でも、翌日になり、あるいは数年たってから「ああ、あのワインはうまかったな」とか「サービスのタイミングのあの店」とわかることがあります。

クイーンの曲もそう。
歌詞を知って、年数がたってきて、CMやテレビ番組のバックに使われることも多く、聴き直してみて、ああ、いい曲だなあと思います。
それは、年数をゲットしてきた私の特典なのだと思います。
「クイーン?ブリティッシュロックだけど、ロックなんつうーか」という私は、年数を重ねて、いい曲だなあと思うようになったのです。

さらに、やはりライヴエイドのクイーンの演奏は圧倒的に印象にあります。

そして、ここは、アヤしいブログですから、フレディのチャートを見てみます。
太陽は乙女座で、月は射手座か山羊座のどちらか。

フレディが今、生きていたら、という事でチャートをみると、プログレスの太陽が蠍座にあり、2018年10月末イギリス公開時あるいは11月日本公開時には、蠍座に太陽がぴったりのっています。
つまり、映画の公開のタイミングはぴったり。

でも、そんなことくらいじゃ、フレディは「召喚」できはしない。

この映画は「家族」の映画とも言えます。
クイーンのギタリストのブライアン・メイは、この映画のなかで何度も言っています。
「We’re a family」(僕らは家族だ)
フレディは、何回も聞いているはずだけれど、フレディは家族が持てなかった、と思っていたのかもしれない。だから、ボヘミアン、放浪者、部外者を歌っていたのかもしれません。

「We’re a family」
それは、蟹座のブライアンらしい言葉です。蟹座というのは、外側に壁をつくって、気持ちの通じる家族のような小さな集団を大事にするのが特徴。
今年、ドラゴンヘッドが蟹座にはいったのは2018年11月7日。日本の公開はその直後の2018年11月9日。ドラゴンヘッドは、来世への扉とも言えます。
この映画の公開時期には、来世での家族を目指す扉があいたところです。
この映画は、遺族やクイーンのメンバーの協力がなければできなかったと想います。
生存中は、なにかとあったのですが、亡くなってから本当の家族になったのではないでしょうか。
「We’re a family」

また、2018年11月8日に射手座に木星が入りました。
木星は魂をどこかで救済する宗教性があり、ドラゴンテイルは、カルマ、今世や前前前世の宿題とも言えます。
また、月は肉体そのものを象徴します。
ドラゴンヘッドは、来世での家族の扉を開けていて、これから、射手座にはいった木星は、1年をかけてフレディのドラゴンテイルと月を迎えにいくのです。

「ア~イム・バ~ック!!」
お帰り、フレディ。

新宿二丁目のほがらかな人々

新宿二丁目のますますほがらかな人々

成り上がり

すべての男は消耗品である。最終巻

映画「ボヘミアン・ラプソディー」公式サイト

フレディ・マーキュリーのチャートは、Astro-Databank から


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*この記事を書いた人について
 辰巳(たつみ)
 聖地を巡礼する占い師。西洋占星術とタロットを使います。
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