それほど大きくない神社で、入り口がちょっとわかりにくいです。
神社によっては参道がないこともあるんだけど、ここでは境内が公民館の駐車場となってる風もあって。なので、たぶんこの鳥居が入り口なんだろうなと思いながら、隣に自動車が映り込んでいます。
この神社の所蔵している文書に井伊直虎(いいなおとら)城主の花押があったそうです。
現在は、この文書は浜松市博物館に保管されているそうです。
ここは、女城主井伊直虎のゆかりの地でもあるのですが、その後の時代には、「三方原の戦い」で武田軍が徳川軍を待ち伏せしたといわれる場所だそうです。
拝殿の中にも井伊直虎の花押がありました。
また、蜂前神社は以前、羽鳥大明神と称されていてその社号が見えました。
この神社の縁起としては、蜂前神社は、応神(おうじん)天皇11(280)年に天皇の命により八田毛止恵(はったもとえ)という人物がこの地を開拓「本社を八ケ前(はちがさき)の地に勧請して」と公式サイトにありました。
いろいろ、気になるところがあります。
まず、八田毛止恵という人物。「はった」は泰(はた)なのかな?と思うのですが、よくわかりません。
それから勧請したのが「本社」この本(ほん)は、「この」という意味なのかもしれないけれど、どこかに大元(おおもと)の神社があって、そこからこの地に勧請した、とも読めるのです。
ご祭神は、熯速日命(ひのはやひのかみ)、甕速日命(みかはやひのかみ)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)
すべて、火の関連の神さま。
そもそもの開墾とは関係なさそうで、しかも、熯速日命が主祭神でおられるのもわりと珍しいです。
八田が泰だとしたら開墾をしたという事もわかるけれど、そうすると秦氏の奉ずるといわれている神さまといわれている八幡神や稲荷神がご祭神におられてもいいような気もします。
そして、本社はもしかしたら、その秦氏の奉ずる神様なのかなと考えたりします。
でも、これだけ古い神社であれば、現代までにご祭神も変わっている可能性もありそうです。
本殿のうしろにあがる道があったのであがてみました。