天竜川が海にそそぐ地域。
川が海にむかっていくときに、右側(西)が浜松で、磐田は左側(東)です。
ここは広く平坦な地域で、工場に走るトラックが通る道路があります。
でも、この遠江(とおとうみ)は埋め立てでできた工業地帯ではありません。
このお社の始まりは、天平の時代、この遠江国府(とおとうみこくふ)の守護として赴任された時、遠江国内がよく治まるようにと「桜井王」が、国府内に奉られたのが、最初。
最初は、磐田駅の南側にひろがる地域に国府があり、そこにあったものをこちらに勧請されたそうです。
桜井王という方は、天武天皇の曽孫とされていて、遠江の国司として赴任していらしたとありました。
この磐田駅の南側は発掘調査されており、弥生時代から人が住んでいたことがわかっています。東と西をつなぐ場所であり、古くから重要な場所だったのでしょう。
ご挨拶します。
現在のご祭神は、誉田別命 (ほんだわけのみこと)、足仲彦命 (たらしなかひこのみこと)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)の3柱。
この3柱で、いわゆる八幡さまなんだけど。
なんか、八幡さまっぽくないなあ。
すごくリッパ。武家の信仰をあつめられたのは、よくわかります。
イラストは、「ボケ封じ成す守」だそうですが、ボケナスってこと?(笑
ご祭神は、武内宿禰命(たけのうちのくすねのみこと)
八幡さまのもとで300才を越えてもお働きになった方。なので、そこから長寿、ボケ封じとなったようです。
すこし高いところにおられます。この地域は、伊雑宮や磯部社といった伊勢・志摩に因んだ名前のお社が多くあるそうです。
足を運んだのではないのですが、サイトをみると森のなかに「命魚(めいぎょ)の儀斎行場」とありました。
生きた魚を献上し、祝詞を奏上して池に放つという儀式だそうです。
放生会です。
生きた魚などを放して殺生をいさめる教えがあるそうです。
弥生時代から人の住んだ場所であり、奈良時代には国府の置かれた場所にあったお社。
そして、その後、徳川がこの土地を本拠地としていて、伊勢神宮への崇敬も篤い場所。
大きなリッパな楼門や拝殿、本殿から大事な場所なのでここを押さえておきたいという権力者もいたのだと思います。
でも、それよりも、ここに生きた人たちは、天竜川の氾濫と海の安寧の祈りをささげる必要もあった場所だと思うのです。