先日、「オータム銀座2014」のイベントの一環として、普段は、参拝できない企業のなかの神社もご開帳されている神社のご開帳のある、銀座八丁神社めぐりに行ってきました。
銀座のなかには、たくさんの小さなお社があるのですが、そのなかでも、今年は10社の神社が開帳され
スタンプラリーに参加していました。
普段は、一般の参拝ができない資生堂本社ビルにある成功稲荷神社は、本社入口のロビーに下りてきていらっしゃいました。
(しかも受付のきれいなお姉さんと、ガードマン付)
三越や松屋の歌舞伎座にも神社があります(お不動さまもいらっしゃいますが)
また、毎年10月17日には薬祖神社のお祭が開催され、周辺の製薬メーカーは奉納金をお納めし、また社員の方々も参拝しておられました。
さらに、今年は三井不動産の再開発事業で、日本橋の福徳神社の周囲が整備され、新社殿が完成されました。
計測できるデータだけ、目に見えるお金だけのことを考えると、一見、無駄のようにみえますが、なぜ、企業が、今も神社をもち、あるいは、それを支える事が続いているでしょうか。
それは、企業やお店を続けていく事は、寺社で手をあわせて、祈願する事にも通じるものがあるからだと思います。
寺社では、大きなモノに対して、目に見えない力を感じようとし、聞こえないメッセージを聞き取ろうとします。
その時に、それらの力やメッセージを、感じようとするセンサーは、顧客の言葉にならない要望を感じ、立ち上がる前の気配を察し、
流行の先をみようとするのと同じセンサーではないかと思うのです。
だから、そのセンサーが働いている企業(の経営者)が生き残り、寺社で手をあわせるという事を、さらに続けていくように思います。
また、一方で、寺社で手をあわせる一瞬は、自分のような自分でないような感じもするのですけどね。