修学旅行で来たことのある方も多いと思います。
私自身は、修学旅行のあとも何回か来ていますけど、いつも人気の神社です。
この時は新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言中ではありませんでしたが、
さすがに、ごった返して混雑している、という状況ではありませんでした。
でも、修学旅行の学生たちがたくさんいました。
こんなご時世で中止になった学校も多かったのですけど、修学旅行ができて良かったねえ。
考えてみたら、こんな派手な神社、他にないよね。
これがファースト神社で、神社ってこんな感じなのね、と思ったら、やっぱりちょっと違うかもしれません。
なんだかご祭神に頭をさげてるようにも見える
ご挨拶します。
うーん。どうなんだろう。
いろんなスピリチュアル系のサイトやテレビ番組で、ここがパワースポットだ、とか、ここから参拝すると御利益が倍増、とか、聞きますけど。
普通に、神社だと思います。
をみて。
結構、歩くのです。
神社の、というより周囲の木々からの清々しいエネルギーは、唐門前と全然、違います。
ここでは柏手ではなく手をあわせます。徳川家康公の神柩が納められていて、仏さまの前、という厳かな感じがします。
手前の三具足(みつぐそく、さんぐそく)は、仏具です。
花立・香炉・燭台の各一つずつで一組。
花瓶・獅子の香炉・鶴亀の燭台です。
願い事をこの杉の穴に向かってお願いすると、願い事が叶うと伝えられているそうです。
この木は別として、この奥社が東照宮のキモというか、ホントのご神域だと思うのです。
こんなご神域に、私のような一般の人をここまで入れてしまう事で、パワーをなんとなく拡散させてしまっているように感じました。
特に唐門や陽明門、三猿、眠り猫などがあって神社に参拝するというより、観光地。
この時はいらっしゃいませんでしたが、「朝から温泉入ってビール飲んじゃったよ」という団体のバスがくるような大きな観光地です。
そういった方がどんどん、入ってきて何かしらをもっていくと、ここに大きなパワーはなくなりはしないけれど、江戸時代、創建当時の圧はなくなっていくと思うのです。
同じような事を上野でも感じます。
上野のお山全体に広がっていた寛永寺も広く公園となることで、徳川家のパワーを拡散、消滅させているように思うのです。
誰が考えたのでしょうね。
現世に復帰した感じ(笑 がします。
もちろん圧倒的な聖地であることは今も変りません。
そして、以前も書いたのですが圧倒的な聖地の前は圧倒的に俗っぽいものが必要だと思うのです。
日本では統治者がかわっても、前の統治者の墓をあばいて滅するような事はありませんでしたが、こういう穏やかな方法で、力を失わせるような「仕組み」があるのかもしれません。