豊かな北上川があるとはいえ、ここは山の上。そこに水性が豊かな場所というのは神さまのおられる場所。
そういった場所はやはり、聖地になるんだな。
芭蕉の句碑
「木の下は汁も膾も桜哉」
(きのもとに しるもなますも さくらかな)
この場所で詠まれたものではないようですが、大きな桜の木のもとにありました。
芭蕉は奥の細道で東北を歩いていますが、あれも鎮魂の目的もあったんじゃないかな、と思います。
下のリンク先のサイトには地図がありますが、ここから東日本大震災で大きな被害のあった南三陸までそれほど遠くない距離です。
芭蕉の昔ではなくても、鎮魂、祈りというのは続けていくのだと思います。
誰もいない境内ですが、すっからかんではないのです。
キチンとご奉仕されているご様子もあるし、なにより神さまもおられるし。
宮城県神社庁のサイトによると戦死した主君の冥福を祈って伏見稲荷に参籠したあと、こちらにご社殿を作られて稲荷大明神(銭金大明神、善賀大明神とも称されるそうです)をお祀りしたことから、とのこと。
地元の方は「おぜんかさん」とお呼びになるそうです。
今の私たちから考えると、お稲荷さんに冥福をお祈りするの?とは思うのですが、お稲荷さんは命をつなぐお米の神さまですから、無理すじなことではないのだと思います。
「秈」って珍しいな、と思って調べました。
うるち米のことだそうです。
お稲荷さんだからね。
青面金剛は庚申待(こうしんまち)の本尊なので、そういった信仰もあったんだな。
いかにも金運アップな名前です。
この石自体がウミユリの化石だそうです。その紋様が銭型であるため「銭金石」と称されたそうです。
ウミユリの化石ということは太古の昔は、海のなかだったんだ。
とても涼やかな水が流れていたので、動画にしました
もともとはここから奥の方にお城があったとのことです。
この境内から一段高くなった場所は鼎館跡とありました。
そうか。ここも「強者どもが夢のあと」なのかもしれません。
後ろの木も大事なご神木だと思います。
近くは田んぼ。
神さまの土地なので、きっと実り多い場所なんだと思います。
近くを走る2号線は、このあたりは少し高いところを走っています。
東日本大震災の時もかなり被害があった道路です。津波の記憶がまだまだ、ありました。
ここまで上がって逃げてくるんだな。
金運の神社としてお詣りするのも、御利益がありそうです。
でも、兵(つわもの)ども、東日本大震災で亡くなった方の記憶がある土地の神さまでもあると思うのです。
夏草や兵どもが夢の跡 文藝春秋のサイト https://www.bunshun.co.jp/mag/ooruyomimono/hosomichi/haiku/ichinoseki.html
秈荷神社(ぜんかじんじゃ) 宮城県神社庁のサイト https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310030657