大きなお稲荷さんです。
公式サイトによると、日本三稲荷のひとつ、とされています。
最初の鳥居をくぐってクランクのように参道がひかれているのですが、
神社では拝殿、あるいは本殿にまっすぐに参道があることは、ほぼないです。
馬事博物館
その昔、このあたりには馬の市があったそうで、
大正初期には軍馬三大購買地のひとつにも連ねられ、十数万余頭を軍馬として送り出したそうです。
また、仙台にある伊達政宗公の騎馬姿の原型試作像も所蔵されているそう。
今は修復工事中で中をみることはできませんが、建物自体も素晴らしいものです。
国の登録有形文化財に登録されており、こちらのサイトで中を少しだけ見ることができます。
ここを見ると、展示ケースも貴重な造りですね。
文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/572502
ご祭神は、竹駒稲荷大神。
842年に小野篁(おののたかむら)卿が、多賀城の陸奥国府に陸奥守としてご着任の際、奥州鎮護の神としてこの地にご創建されたそうです。
小野篁卿は、百人一首にも登場し学芸の神さまとして仰されている人物で、京都の六道珍皇寺の井戸を通じて閻魔大王のもとに通っていたという方。
その方がこちらに赴任したときにご創建された神社。
という事であれば、大きな意味もあるだろうしパワフルな聖地だと思うのです。
そして、ご祭神の竹駒稲荷大神とは、
倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
稚産霊神(わくむすびのかみ)
の三柱の御祭神を総称されているそう。
陸奥の国の国府鎮護の神としてお祀りされたところからなので、お稲荷さん、といってもスケールが大きい。
そして、この地の繁栄というなら五穀豊穣は欠かせないので、稲荷神をこちらに勧請されるのは、とてもわかるのです。
もちろん、国府、国家でなくても毎日の生活の糧(かて)を私たちひとりひとりに、恵んでくださる稲荷大神さまだと思います。
額にある文字は、「丹心報国」まごころで国に仕える、という事でしょうか。
右手には、池がありました。
ここには、飛躍の霊狐像があります。
小野篁卿が、こちらに赴任されるときに、京都の伏見稲荷大社で、稲荷大神を勧請のお願いをしたら、神さまが白狐の姿を借りて現れたので、その白狐と化した稲荷大神の御分霊を長櫃ながびつに奉じ向かわれたそう。
途中、長櫃の中から啼き声がしたので、どうしたことかとその蓋をあけると御分霊の白虎が跳びだして、こちらの神社裏手の森に駆け込んで姿を隠した。
それにより、こちらに神社を建てて、また、この縁起から昭和25年の初午大祭にあたり、当神社外苑にテントを張り興行した動物サーカス興行主の樽谷鹿太郎氏が、神恩感謝として昭和31年に建てられた、と説明がありました。
よいお像でお賽銭箱もあったので、手をあわせてご挨拶しました。
伏見稲荷社からサーカス興行という時間の流れを思います。
この近くには御神馬像があります。
馬事博物館もあるくらいの土地がらだったしね。
新型コロナウィルス感染症が広がって、一時、手水自体が中止になってしまった時期がありました。
そして今は、まだ感染症が終息したわけではないけれど、この時期に手水に花をいけるという事が、あちこちの寺社で行われるようになりました。
水の音も美しかったので動画で。
まだまだ、続きます。