知らないときは、なんで2つの神社のお名前があるんだろう?と思っていたのですが、うかがって納得です。
だって、ふたつのお宮が隣同士にあるのです。
この記事は、鹽竈神社(塩釜神社)について書いていきます。
地元の方々から「しおがまさま」と称され、崇敬され慕われているのがとてもわかります。
写真に入らないようにしているので、わからないかもしれませんが、この日も境内はなかなか賑わっています。
この敷石。ピシッとそろっています。
ご当地も近年であれば東日本大震災があった土地なので、その時はどうだったんだろうと思いますが、それにしてもこの大きさの石がそろっていることで、崇敬を集めるお宮なんだなあ、と思いました。
この東参道に向かう道は七曲坂と言われています。七曲坂は、塩竈神社の神さまが塩を煮るため海辺へ通われた道だそうです。
なので、むしろ表参道より整えられているのかな。
手水舎の周囲は桜。春は見事でしょうね。
境内の周囲は瑞垣(みずがき)ではなく廻廊。
立派な廻廊だなあ。
左右宮拝殿(さゆうきゅうはいでん)
正面はいったところにあるご社殿。
左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)・右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)
ご挨拶します。
戦いの神さま。
思えばこの地は蝦夷(えぞ)地の最前線もあったこともあるでしょう。
格調高いご社殿だとお見受けします。
不思議なことなのですが、こちらが本殿のような感じがするのです。
左右拝殿には戦いの神さまがおられて、時の権力者から篤く崇敬されていたのでしょう。
でも、境内にはお宮参りの家族もおられるのですが、ご祈祷をうけているのが、この別宮拝殿なのです。
そして主祭神はこの別宮におられます。
鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)がこちらにおられるそうです。
だろうねえ、とは思いました。
参拝順序で別宮を先に、と書かれているサイトもありましたが、公式サイトには特に記載はありませんでした。
別宮の「別」は特別の「別」なんでしょうね。
そして、この別宮は海を背負った形で西を向いておられます。
海の恵み、浄化の象徴である塩の神さまであり、海難から守ってくれる神さまなのかもしれないな、と思いました。
ご神木
灯籠。階段つき。
大阪の豪商・升屋の山片平衛門重芳により寄進されたもの。
江戸時代以前には、ご祭神はあまりはっきりしてなかったそうです。
伊達家4代綱村公が学者に調べさせて、現在の三神とされたそうです。
確かに権力者に篤く崇敬されていた陸奥国第一のお宮だと思うのですが、それだけではないと思います。
鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)は潮流を司り、塩をもたらす神さま。
潮流は、見えない流れです。
つまり、潜在意識の示す先やとるべき行動を示していただける神さま、というのが現代の私たちにわかりやすい姿かもしれません。
志波彦神社・鹽竈神社 http://www.shiogamajinja.jp/