(この記事には東日本大震災、原子力災害、津波に関し、災害伝承館のなかの展示内容の写真も含みます)
実は今回、東北へいった目的地のひとつがここです。
2011年3月11日の東日本大震災とその後の原子力災害は大きな被害がありました。
私自身もその当日、あるいはその後を体験しました。そして、現地で何があったのかはネットやマスコミではなく知っておきたいと思ったのです。
北の方から南へ常磐道を車で向かいます。
ちなみにこの常磐道ですが、恐ろしく長い区間が無料です。
時々、線量計があって、近くになるほど数値は高くなります。当日は結構な雨だったのですが、一般道ではその雨のなか帰宅困難地域や制限地域に通じる道路の手前には人が立ってチェックをしておられるが見えました。
東日本大震災・原子力災害「伝承」館
伝承したい、しなければならない、という意味をこめておられるのかもしれません。
しかし、まだ、現在形で時間はながれており「伝承」にはなっていないと思います。
廃炉の途中であり、線量をモニターする「現在」形なのです。
入口はプロローグとあって、映像で当時の様子を再現しています。
ナレーションは福島出身の西田敏行さん。
壁全体、足もとにも映像が写り、音もリアルなので直接、この地で地震、津波と原子力災害を体験していない私でもドキドキしました。
教会のような静かな祈りの場のようです。
このあと、この壁のうしろのスロープをのぼって展示室に向かいます。
あの日は寒かった。
館内では震災を体験された「語り部」とおっしゃる方が講話をされるスペースがあり、また、展示の前でも説明をしておられます。
想像はしていたけど、こんなにも大きいのか。
語り部の方が「みなさんはどちらから?東京?そう。このフレコンバッグ、いくつあると思う?みなさん一人、ひとつづつ持って帰ってもらえる?」と笑っておられます。
でも、すごく重く響きました。
私たちひとりひとりが、背負っていく問題なのです。
この伝承館付近で発見された津波でつぶれた消防車。乗っていた方は避難されたそうです。
双葉町の看板レプリカ。原子力広報標語は「原子力明るい未来のエネルギー」
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日頃は、意識していないかもしれない。
仕方ないと思う。
でも、ここで起きたことは、と過去形にしてはいけない。現在も、自宅に帰れない人がいて、溶けた原子炉の底には原子力の火が燃えている。
そして、東北は日本の背骨だ。
常磐道通過における被ばく線量 NEXCO東日本のサイト https://jobando.jp/hibakusenryo/hibakuryo.html
モニタリングポストについて 環境省のサイト https://www.env.go.jp/chemi/rhm/portal/digest/dwelling/detail_004.html
東日本大震災・原子力災害伝承館 https://www.fipo.or.jp/lore/